自らを重ね合わせて書いた、絶望から再生の物語

第36回小説すばる新人賞を受賞した神尾水無子さんの『我拶もん』は、江戸の寛保年間(一七四一~四四)を舞台に、大名の駕籠を担ぐ姿が人気を集めた若き陸尺、桐生を主人公にした時代小説です。
陸尺の中でもっとも格上の上大座配に上りつめ、高嶺の花の深川芸者を射止め、得意の絶頂にあった桐生。しかし、仕事仲間と揉めた上、江戸を襲った洪水に見舞われ、すべてを失ったかに見えたのですが……。
新人離れした筆運びと巧みな物語展開が選考委員をうならせた『我拶もん』はどのように書かれたのか。作品について、作家デビューまでの道のりについて、神尾さんにお話をうかがいました。

聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=冨永智子

江戸の人気者、大名の駕籠を担ぐ「陸尺」が主役の時代小説『我拶もん』神尾水無子_1
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江戸の人気者「陸尺」は、今に通じる仕事

――『我拶もん』の主人公は大名の駕籠を担ぐ陸尺です。彼らが江戸をにぎわせる人気者だったことを初めて知りました。なぜ、陸尺の物語を書こうと思われたのでしょうか。

 とある時代小説で陸尺を知ったのがきっかけでした。調べてみると、背が高く、いわゆる様子のいい陸尺は、あちこちの大名家や旗本から引っぱりだこで、一日にいくつもの大名の駕籠を担いだそうです。そのための人材派遣業もあったらしく、今に通じるものがあると思いました。

―― 冒頭で駕籠を担ぐ陸尺たちを見に、町民たちが集まってくる。その様子がぱーっと目に浮かんできてワクワクしました。主人公の桐生という人物をどんなふうに考えていったのでしょうか。

 陸尺の中でも上大座配というトップクラスにいて、女性からモテまくっている。ついには深川芸者をものにして、天井知らずに舞い上がり、いつも上から目線。そんな桐生を救いたかったんです。自分で書いていても嫌なやつだと思うくらい、増長している彼を救うにはどうしたらいいか。一回落とす。とことんまで落ちた桐生が絶望から再生する、その姿を書きたかったんです。なので、まずは桐生がどうやって落ちていくかばかりを考えていました。

―― 陸尺は肉体労働でもあるので男ばかり。ちょっと荒っぽい世界でもありますね。

 気に食わなければ侍にも喧嘩を売るぐらい乱暴者の集まりで、幕府が彼らを呼ぶ時の符丁が「我拶」でした。桐生は独身ですが、妻がいる上大座配の中には、おめかけさんを囲うような不届き者もいたみたいです。

―― 桐生と対照的な存在として、武士の小弥太が登場します。小弥太は頭の固い真面目な若者で、ことあるごとに桐生と対立します。小弥太の主人である玄蕃頭(筑後国久留米領 第七代当主・有馬頼徸)はつかみどころのない風変わりな殿様ですね。

 二次史料ではあるんですが、『サムライとヤクザ――「男」の来た道』(氏家幹人著、ちくま新書)という本に、有馬の殿様が湯屋で町人の背を流していたという記述があったんです。実際には諍いを恐れて渋々と流したらしいのですが、どうもその殿様が玄蕃頭ではないかと。ちょうど時代も合っていたので、アクセントというか、差し色的なキャラクターとしてうってつけかなと思い、キャスティングしました。

―― ほかの「キャスト」も魅力的ですね。桐生が転がり込む深川芸者の粧香、陸尺仲間の翔次、小弥太があこがれている玄蕃頭の姉、梅渓院。さらに謎の黒羽織の男も気になります。物語も、陸尺と芝居小屋の間でもめごとがあったと思えば、大雨が降って大川(隅田川)が氾濫し江戸が被災するなど起伏に富んでいます。

 市村座の騒動で陸尺が大暴れしたことも、その三か月後に「戌の満水」と呼ばれる洪水があったのも史実です。これには私も驚きました。調べてみると、このことを書いた小説がほかになかったので、これは書くしかないと思いました。

―― 陸尺をはじめとして、見慣れない江戸の言葉が出てきますが、説明を最小限に、前後の文脈でわかるように書かれていて、江戸の雰囲気を楽しむことができますね。とくに粧香がお偉いさん相手に啖呵を切るところは最高でした。

 創作のために必要だということもあるんですが、古本を集めるのが好きなんです。古本市で見つけた本に、啖呵の切り方が載っていて参考にしました。それをそのまま使うわけにはいかないので、本に載っている啖呵を女性が切ったらどうなんだろうとか、この状況でどんな言い方をするだろうかとか想像して書いています。後は落語ですね。私は落語が大好きなので、落語を聞いてなかったら、この言葉はここで出ないだろうなというせりふがたくさんあります。

―― 女性のキャラクターも魅力的です。啖呵を切る深川芸者の粧香もかっこいいですが、Sっ気のあるお姫様、梅渓院も小弥太があこがれるだけあって素敵です。

 女性キャラクターで、書いていて楽しいのがあの二人のタイプなんです。粧香は深川の芸者さんなので自然に啖呵を切る場面を書けたのはよかったです。これからはもっといろいろなタイプの女性キャラクターを書いていきたいですね。

悲しいという言葉を使わずに、悲しさを表現する

―― 作家デビューまでの歩みも教えてください。神尾さんはこれまでどんな本を読んできたのでしょうか。

 小さい頃はほかの子供と同じように子供向けの本を読んでいたんですが、十三歳の時に高村光太郎の『智恵子抄』を読んで、ものすごいショックを受けました。言葉に胸ぐらをつかまれたというか。
 奥さんの智恵子さんが、今でいう統合失調症になり、肺気腫で亡くなるまでを詩で表現しているのですが、悲しいとか寂しいとかつらいという言葉を一切使っていない。すごいなと思いました。
 そこからいきなり三島由紀夫を読み始めて、太宰(治)、谷崎(潤一郎)と読み進めていきました。

―― 高村光太郎を入口に、近代文学の森に入っていったんですね。

 気に入ったくだりを書き出して、机に貼っていましたね。たとえば、三島由紀夫の小説に「波は明らかに酩酊していた」と書いてあったりすると、「何だこれは?」って。気に入った表現を書き写すと自分のものになったような気がしたんです。十四歳ってそういうことを真面目にやるんですよね。

―― 大人になってからも読書は続けられていたんですか。

『智恵子抄』が読書の原風景だとすると、二回目の衝撃は二十代後半に読んだ林芙美子の『浮雲』でした。フランス領インドシナの熱帯夜の描写や、ラストで死んでゆく主人公の表現が凄まじく、もの書きの業のようなものを感じました。ここまで主人公に残酷に接することができる林芙美子という作家の気迫に羨望を覚えました。

―― なるほど。では、読むことから書くことに進んでいったのはなぜでしょうか。

 雑誌の編集とライターをしていたのですが、やりたかった仕事をして、乗りたかったオートバイに乗って、夫とあちこち旅に行って、まあ、これで上がりかな、と思っていました。ところが、四十歳になって、ふと思ったんです。一つだけまだ叶ってないことがある。それが小説を書くことでした。
 それで最初はライターをやりながら小説を書いていたんですが、思うように書けません。日中、ライターとして取材をして記事を書き、夜か朝に小説を書く。そんな毎日を送っていたら、使う脳の部分が一緒なのか、脳が酸欠を起こしたみたいな状態になってしまったんです。それで両方はできないなと思って、小説を選びました。仕事ときちんと区別できる会社で働くようになって今に至ります。