――アプガの時点でとっくに戦争は終わってるのに、ひとりだけ「戦争は終わってないぞ!」って騒いでる日本兵みたいな感じでしたもんね。

それはそれでいいのかなと思うんですよ。僕が話してることってオッサンの昔話なのかもしれないです、いまの若いアイドルヲタからしてみたら。でも、お客さんもあの頃すげえプロだったんですよ。

本気で頑張ってる女の子を本気で応援して、「俺らがマジ武道館に連れてくぞ!」っていうガチのソルジャーたちだったし、だからこそ本気で怒られました。「おまえらふざけんなよ、こんなクソみたいな曲作ってんじゃねえ」とか「このクソ運営!」とか。

――ダハハハハ! どのグループのときに言われたんですか?

ぱすぽ☆かな? どるえれのときも言われました。でもいい曲を作ったら直接誉めてくれるし。俺、どるえれのとき2回ぐらい土下座してますから。殺害予告もありました。「FKDマジ殺すから」って。考えられないですよね。 

「嫌われることに対して1ミリも躊躇がなかったです」 弱肉強食のアイドル戦国時代をFKDはいかに生き延びたのか 聞き手:吉田豪_4

――それくらいの事態になったのはどるえれのときぐらいなんですか?

どるえれのときはマネジメントも兼ねてたんで、それもデカかったですね。どるえれとぱすぽ☆のときはとにかく客と衝突したな。客商売としては0点です。ひどい時代でした。

――いまは、その経験がプラスになるような状況になってきてるんですか?

この歳になってやっとですね。いままでは音楽畑でずっと雇われディレクターをやってたんですけど、コロナっていうのもあって違うことをやろうと思いまして。

ひとつは声優アイドルユニットをゼロから作ってどこまでいけるかをもう一回やってみようっていう。それが泡沫のクロワジエールっていうユニットです。3年後トップを取ろうっていう気持ちでやっています。

あといまミュージックプラネットっていう音楽サービスの中の一つの事業責任者という形で、ナンバーワンを目指すよりもひとりひとりの音楽活動に向き合うって仕事を必死にやってる最中ですね。