「半地下合唱団」は最先端の部活のかたち

内田 スポーツ(Sport)の原型となった中期英語のディスポート(Disport)には「気晴らし」という意味があるんですよ。 なのに、今の部活は気晴らしどころか、むしろめちゃくちゃしんどいし、嫌になってやめていくようなこともある。本来、部活というのは自主的な活動で気晴らしとして存在しているはずなので、楽しむのもありだよねという認識をつくっていかないといけないんです。その点、まさに『ラベンダーとソプラノ』に書いてある半地下合唱団というのは、楽しむためのものです。

額賀 大してうまくもないけど、うまくなる気もそんなにないしという。

内田 そうそう、それがまさに、本当は半地下じゃなくて、堂々と表面的に。

額賀 明るいところで。

内田 そうそう。そういう活動になっていかなきゃいけなくて、というところですね。

額賀 でも、思い返せば私自身も、部活や校則を強制されることは嫌だったんですけど、同時にそれを仕方がないものと思っていた節もありました。私の通っていた学校、結構田舎で荒れている学校だったんですよ。だから、厳しい規則を作らないと統率がきかなくなるんだろうなという思いがあって、ブラック部活とかブラック校則というものに対して、おかしいと思いつつ理解を示してしまう自分もいるみたいなのが、三十過ぎてよく分かるようになってしまったんですよね。

内田 まさに先生がそうした統率を目的でやっているんでしょうね。

額賀 先生の気持ち分かっちゃうんです。結構ブラックだなあという部活の顧問をされている先生は、顧問・先輩・後輩という上下関係のしっかりある場で、与えられたミッションを全力で頑張るという経験をさせることで、生徒がきちんと社会に出られるように成長できると信じているのかもしれない。そう思うと、それを真っ向から否定できないって思っちゃうんですよね。

内田 今のお話を伺うと、やっぱり部活を「教育」としているんですよね。部活も校則も教育だと思ってやっていて、実際その効果があるように思えてしまうというところが、部活や校則を壊しにくい要因なんです。

額賀 そうですね。それこそ内田さんが著作で書かれていましたが、ある不良の生徒がブラック校則のある学校で更生した例があったと。ただ、それはブラック校則で厳しくしたからではなくて、その学校の先生が生徒とコミュニケーションをとっていたからこそ更生できたのだというのは、今回、この企画に合わせて内田さんの本を読み返したときに、「あっ、本当にそうだな」と。別にブラック校則のおかげでその生徒が更生したわけじゃないと思いました。

内田 実際、長野県だと、高校はおおよそ二校に一校が私服なんです。松本市周辺に限れば、ほぼ全ての高校が私服。じゃあ、そこで事件が起きているかというと、別に起きてない。最終的なラインとして、他人を傷つけるようなことを誰かがやった時には何らかの取締はすべきだろうけれども、そうじゃない限りは校則で縛らなくてもいいんじゃないのって思います。部活もそれぞれ好きにやったらいいんじゃん、自主的な活動だし、という風なところですよね。

額賀 そうなると理想形に到達するのに何十年かかるんだろうなとつくづく思いますね。令和にまだそんなことをやっているの? という部活や校則は、まだまだたくさんありますし。私はフィクションを作る側の人間なので、今のそうした状況に対して、何を示すことができるのかと考えながら書いたのが『ラベンダーとソプラノ』だったんです。

内田 確実に半地下合唱団は、近未来というか、今の答えだと思いますよ。もちろんトップアスリートを否定するわけではないんですけれども、部活というのはあくまで趣味だから、活動を週六日とか頑張らなくていい。半地下合唱団はどれぐらいやっていましたっけ。週二日とか?

額賀 半地下合唱団は週二日ですけど、その週二日の活動日も来る人と来ない人がいますね(笑)。

内田 あの緩さがいいんですよね。そうすると何が起きるかというと、必要なリソースが少なくて済むんです。今は巨大な部活をほとんどの学校でやっていて、それが教員のただ働きによって担われている。教員の過労が問題になる中で、部活を他の誰かが担うとなっても、巨大な部活を運営できる人もお金もない。だったらまず、今のリソースで無理なく回せる程度にダウンサイズをするのが大事かなと思います。
 たしかに部活をゼロにすると放課後の活動場所がなくなるので、やっぱり何らかの機会は保障すべきだけれど、週二日あるいは三日ぐらいだといいよねというのは、私自身の未来予想図というか、期待です。