「あのときのサラエボはまるで今のガザ」オシム家にも砲弾が…

元GMが明かす「オシム日本招聘の真実」。才能あふれる旧ユーゴのサッカーとは?〈祖母井秀隆×木村元彦〉_3
ボスニアサッカー協会

ボスニアサッカー協会は巨大なビル内に移転していた。日本の上場企業のそれかと見まごうような瀟洒な受付や応接室にしばし、見とれる。かつては旧市街のど真ん中にあるすすけたビルの一室だったが、W杯に出場すると大きなカネが動くのだ。

元GMが明かす「オシム日本招聘の真実」。才能あふれる旧ユーゴのサッカーとは?〈祖母井秀隆×木村元彦〉_4
ボスニアサッカー協会の応接室

「それもまたシュワーボのおかげですよ」と女性職員は言う。オシムが3民族に分裂していた協会をまとめてFIFAに復帰した詳細は拙著「終わりなき戦い」に譲るが、政治家を説得する上で最も難敵だったのが、スルプスカ共和国(セルビア人共和国)の大統領ドディックだった。

「シュワーボがドディックを説得に行くと訊いたときは、誰しもが耳を疑ったものです。自分たちを殺しに来た勢力のトップに会うのかと驚いたのです。あのときのサラエボはまるで今のガザでした。強力な武器を配備したスルプスカの軍隊に包囲されて通信は遮断、水もガスも食料も枯渇した中で、空爆や銃撃を4年もの間、浴びせられたのです。約12000人が殺されて、子どもだけでも1500人が犠牲になりました」

オシムの家族も一歩間違えば、命を落としていた。戦禍の中で発電が途絶え、暖房が効かなくなったために妻のアシマが使用をやめていた寝室に砲弾が撃ち込まれたのだ。

イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8に導いた名将の家は知られており、スルプスカのスナイパーが特定して狙ったことが明白だった。部屋中に飛び散った銃弾の破片をアシマに見せられたときは、死がすぐそばにあったことを思い知らされた。

妻が死なずにすんだのも偶然に過ぎない。それでもオシムはドディックに会いに行った。ボスニアにおけるサッカー協会の統一の必要性を迫られると、ドディックの側近は渡された書類を見て怒鳴った。

「何だ! これはラテン文字ではないか!」

セルビアはロシアと同じキリル文字なのだが、FIFAの文書なので当然、公的文書はラテン文字である。当初から対話をぶち壊そうという勢力による言いがかりであった。加害者の側から、さらに屈辱的なふるまいを受け、交渉に臨んだスタッフはこれですべては終わったかと思ったという。

しかし、オシムは毅然としていた。「書類は確かにラテンだが、じゃあ、会議はキリル文字でやろう」と提起したのだ。一瞬の間を置いて爆笑の渦となった。漫画の吹き出しではあるまいし。高圧的な相手も腹を抱えて笑いだし、これで統一への道筋が引かれた。赦しと機転とユーモア、彼の知性が凝縮した切り返しだった。