いつか母に試合を見てほしい
母親とは祖父の葬儀の時以来、一度も会っていない。遠戚の方が身の回りの世話をしているという。大人になってから、自身が困難から逃げ出した経験を踏まえて、「お母さんもしんどかったのかもしれない」と理解できるようになったと話す。
「いつか会場に自分の試合を見に来てほしい?」と尋ねると、しばらく沈黙した。そして「もういい年だし、甘えたいとかはないんですけど」と、また同じ前置きをして言った。
「お母さんの笑顔を生まれてから一回も見たことがないので、喜んでいる姿は想像できないですけど、試合を見にきてくれたことがきっかけになって、普通の親子関係で交わすような他愛のない会話ができたらいいなと思います。そのために自分ができることは、とにかくボクシングを頑張って、その日が来るまで勝ち続けることだけです」
プロデビュー後、自身が育った児童養護施設だけでなく、全国の施設を坂本氏に同行して訪れている。かつての自分と同じような境遇の少年少女たちと、目一杯全力で遊ぶ。ミット持ちもする。「存在を認めてほしかった」という自分の思いを重ねて、彼らの存在を全身で受け止める。
デビュー戦以来、かつての施設の同級生や先生、今現在も施設で暮らしている子どもたちが応援に駆けつけてくれる。多くの人が、苗村修悟というボクサーの存在を瞼に焼き付けて帰って行く。
「将来のボクシングの目標は33歳までに日本王者、35歳までに世界王者です。でもそういうタイトルとかよりも、自分は、もっと人間的に強くなりたいんです。強いボクサーは、人間的にも強いじゃないですか。坂本会長みたいに強い人間になって、いつか結婚して。それで、子どもがいて、一緒に夕食を食べて、お風呂に入って……」
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#1 「一般家庭で育った人たちや社会に対して何クソっていう…」養護施設出身ボクサー
取材・文/田中雅大 撮影/石原麻里絵(fort)