試合中に引退を翻意した理由
対戦へ向けて何の下交渉もない完全なフライング発言で葛西の気持ちは「俺がやりたい試合はデスマッチなんだ。ゼロワンを辞めて伊東と戦う」と固まった。後輩からの挑戦状に突き動かされ、団体を退団してまで伊東との戦いへと進んだ。
ところが、2005年10月に小腸に腫瘍が見つかり欠場を余儀なくされる。大病から復帰したものの今度は、両膝の靭帯を断裂、一方の伊東も重傷を負い対戦は宙に浮いた。
欠場が続いたこの間、ファイトマネーがない葛西は、妻と子どもを養うためにアルバイトでホテルの清掃員をしていた。こうして伊東のフライング指名から瞬く間に5年の日々が過ぎ、ようやく両雄が対決した舞台が2009年11月20日、後楽園ホールだった。
試合は「カミソリ十字架ボード+αデスマッチ」。会場は葛西と伊東のドラマを知るファンで超満員札止めに膨れ上がった。蛍光灯、サボテン、画鋲、パイプ椅子が飛び交い二人は夥しい血を流した。クライマックスは、葛西が高さ6メートルある後楽園ホールのバルコニーから机の上に寝かした伊東へのバルコニーダイブだった。
30分1本勝負の試合は、時間切れ目前の29分45秒で葛西が伊東を破った。
対戦に至るまでのドラマ、そんな感傷をふき飛ばす凄まじい流血戦に観客は総立ちとなり拍手を送った。実は、この試合で葛西は「伊東竜二と戦ったら思い残すことはない。これが最後の試合と自分だけが決めていた」と引退を決断していた。ところが、試合が進むうちに「こんな楽しいことをやめたら俺の人生どうなっちゃうんだ」と自問自答する。そして、試合が終わるとマイクを持ってこう語った。
「年内で引退も考えたけどよ、この両膝がぶっ壊れるまでやってやるよ」
この時、葛西は「生きる」喜びをリングで実感した。「観客を沸かせればいい」だけのプロレスから「命」の尊さを観客に訴えたいという考えに変わった。