私をマルクス研究に向かわせたある事件

<斎藤幸平>「ハウスがあってもホームがない人々」の社会復帰までに寄り添う“伴走型”の支援――北九州NPO法人「抱樸」の挑戦_1
斎藤幸平氏(撮影/五十嵐和博)
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北九州小倉にやって来た。長年、野宿者支援に取り組むNPO法人「抱樸」の奥田知志さんに会うためだ。奥田さんたちが新たに企画している「希望のまちプロジェクト」について話を伺い、炊き出しと夜回りにも参加した。

その夜は、台風でも来ているのかと思うようなものすごい雨。テントを設営するだけで、すぐに靴も洋服もびちゃびちゃになってしまった。そして、4月だというのに、風も強く、とても寒い。

コロナ禍以降は、公園でみんなで食べるのではなく、持ち帰り用の弁当を配布する形式になっているが、こんな悪天候の日には弁当をもらいに来る人も少ない。さすがに中止でもいいのではないか、なんて正直思ってしまう。

ところが、奥田知志さんは、30年以上で一度しか炊き出しを中止したことはないという。実際に台風の日も、雪の日も、この炊き出しを毎月2回(冬は毎週)続けているのだから本当にすごい。

結局、弁当をもらいに来たのは30名ほどだろうか。参加しているボランティアのほうが多いくらいだ。けれども、かつては500名以上が集まって来たときもあったという。これほど人数が減った背景には2004年から官民協働ではじまったホームレス自立支援施策によるところが大きい。これにより年間100人以上の方が自立できるようになった。

また、2008年以降の生活保護制度の適正運用の影響も少なくない。適正運用に向けてのきっかけの一つが、2007年に北九州市で起きた事件であった。生活保護を打ち切られた男性が「おにぎり食べたい」とメモ書きを残して、アパートで餓死したのである。これは、私が貧困問題に強い関心を持つようになった理由の一つでもある。

当時大学生だった私は、日本のような経済的に恵まれた国で、おにぎりも食べられないような状況で亡くなる人がいることに強い衝撃を受けた。いかに自分が恵まれているかを痛感するとともに、なぜそのような悲劇が起きてしまうのかをきちんと知りたいという気持ちが、当時大学生だった私をマルクス研究に向かわせたのだ。