お鯉(おこい 1880~1948)
本名安藤照。お鯉は芸者名。歌舞伎役者の市村羽左衛門と結婚するが、すぐに離婚。日露戦争の最中、山県有朋らの計らいで、時の総理大臣桂太郎の愛妾となる。ポーツマス条約の結果を受けて桂が民衆から一斉糾弾されると、お鯉も国賊として暴徒の標的となった。桂の死後も、桂の落胤の面倒を一身に引き受ける。晩年は尼僧妙照尼となり、目黒の羅漢寺の面倒をみる。
伊藤博文や山県有朋が“天下のあげまん”を総理大臣に紹介
お鯉は芸者名で、本名は安藤照という。お鯉を愛妾としたのは明治の元勲桂太郎であった。
日露戦争が始まった時の総理大臣であり、軍人出身の桂は日清戦争において師団長として大きな手柄を立てた男である。だが、その桂にして日露戦争の最高責任者の任は重く、憔悴の毎日だった。
それで桂に女性をつけてリラックスさせようと、山県有朋や伊藤博文が一計を案じた。昔のことだから、話のわかる人がいっぱいいたということだ。山県たちは、当時、美人かつ気っぷのよさで新橋一と評判のお鯉を選んだ。
お鯉は明治十三年(1880)、東京四谷の裕福な漆器問屋に生まれる。実家が左前となると、花柳界へ入り、新橋芸者となる。一度歌舞伎役者と結婚したが破局、再び新橋芸者に戻った。
それでお鯉と桂太郎を引き合わせたのが陸軍大将児玉源太郎であった。一緒に暮らすようになると、周囲の思惑どおり、桂はみるみる元気になってきた。日露戦争にも勝利した。お鯉は天下のあげまんだったわけである。