沖縄についてこれまで語られてきたどの「正史」にも、売春街に生きた女たちの人生が登場したことはない。だが、沖縄が日本復帰した1970年代、ベトナム戦争や朝鮮戦争で戦ったアメリカ軍を相手にしたたかに生き抜いた女たちがいた。
キワコと呼ばれた一人の女の人生から、当時の沖縄の様子がありありと伝わってくる。
ハブをあそこに入れちまった
「ゆめ、見てるみたいだったなあ」
男はひと言、そうつぶやいた。1970年、沖縄・コザ。何月の出来事だったのかは覚えていない。男の記憶はおぼろげだった。男の名は島健二(仮名・70代)。
日本復帰直前の70年、20代で郷里の奄美大島から沖縄に渡った島は、那覇市内にキャバレーを開店。そこを足がかりに飲食チェーンを立ち上げ、財を成した。
極彩色のネオンの裏側から沖縄の半世紀を見つめ続けた島が、まだ野心あふれる若者だったころに出会ったのがその女だった。
「場所はセンター通りの近くにあるスナック。宴席に呼ばれてやってきたのが、彼女だったわけさ」
宴の主催者は、「普久島」(仮名)という男だった。米兵相手のAサインバー(認可を受けたバー)やキャバレーが軒を連ねるセンター通りで、「プッシーキャット」というキャバレーを経営する町の「顔役」だった。
「キワちゃんを呼ぼう」。コザでは知らぬ者がいなかった普久島のひと言で酒席は一層盛り上がった。普久島はどこかに電話をかけ、その女を呼び出しているようだった。それから数時間。島が、何杯目かのグラスに手を伸ばそうとした時、店のドアが開いた。
「キワコです」
そう名乗った女は、傍らに、テープレコーダーとバスケットを携えていた。待ってましたとばかりに普久島が声を上げる。
「あれやってよ、あれ」挨拶もそこそこにキワコは、テープを再生させ、狭く薄暗い店内でリズムを刻み始めた。
しこたまに酔った男たちの視線にさらされながら、服を1枚、2枚と脱いでいく。呆気にとられるような心持ちでキワコのダンスを見ていた島は思わずあっ、と声を上げた。
「バスケットの中からハブが出てきた。びっくりしていると、そのハブを身体にぐるぐる巻いて踊るんだ。そりゃあもう驚いたよ」
いいぞキワちゃん、いけいけ——。やんやと囃し立てる男に愛想を振りまきながらも、踊り子の視線はどこか挑発的でもあった。
「眼がらんらんと光っているのよ。そして、ついにハブを自分のあそこに入れちまった」男の「化身」を抱いて果てた女の眼には、なおも鋭い光が宿っていたという。