「息子はあんな事件を起こすような男ではない」
「八王子市内でわいせつ事件を起こした五日市町の男が、Dちゃん殺害を自供」
平成元年、1989年8月10日。この日から所属していた編集部の夏休みが始まり、わたしは家族を車に乗せて奥多摩湖に向かっていた。
奇妙な縁だが、4人目の被害者Dちゃんの頭部が発見された杉林脇の吉野街道を走行していたときに、カーラジオから臨時ニュースが流れた。心臓がばくついた。わたしは車を急転回させて、西多摩郡五日市町(現・あきる野市)へ急いだ。
自供した男の名前も住所もわからない。とりあえず五日市警察署へ向かうと、署員全員がテレビの画面を見つめていた。名刺を出すと、「うちの署は事件とは関係がないので何もわからないが、自宅はあそこだよ」と清流・秋川の対岸を指した。
Dちゃん殺害を自供した宮崎勤の実家は週刊「秋川新聞」を発行している印刷会社だった。 炎天下の昼すぎ、すでに数人の報道陣が勤の両親を囲んでいた。
家族旅行中だったわたしはランニングに短パン、サンダル姿だった。裏口から入ると、「こいつは誰だ」という視線が一斉に飛んできた。旧知の新聞記者が手招きしてくれたお陰で、なんとかマスコミと認知された。