手榴弾の不条理を社会に伝えたい
それまで、ぼくは遺骨を掘り出すことだけを目的として、たったひとりで収集活動をつづけてきました。しかし、そのなかで手榴弾による不条理な自殺の強制の事実を知り、そのことを周囲の人にも知ってもらいたいと強く思うようになりました。
これが、ぼくが社会に向けて発信をしはじめる転機となりました。
ぼくは、沖縄戦で手榴弾がどのように使われたのかを社会に伝えるために、どうすればよいのかを考えました。
まずは、沖縄戦や手榴弾のことをよく知る必要があります。ぼくは、時間ができると沖縄戦の生き残りの方々に話を聴いてまわりました。証言集や文献、日本軍の武器や装備に関する資料を読みあさり、手榴弾の種類、正式な名称、それぞれの手榴弾の構造、使用法などをしらべました。こうして、発掘現場で見つかる手榴弾の破片や遺骨に食い込んでいる破片、腐食して内部が確認できる手榴弾や不発弾の種類、構造を自分で確認、推定することができるようになりました。
しかし、手榴弾を見たこともない人は、いくら口で説明されても、その不条理さを頭で想像するしかありません。ハブを見たことがない人にハブの怖さをいくら説明しても、十分に伝わらないのと同じです。
そこで、どうにかして手榴弾の現物を使って話をすることはできないだろうかと考えました。手榴弾は危険物です。たやすく扱えるものではありません。しかし、だからといって何もしなければ、自殺のための道具として使われた手榴弾に屈服するような気がしてなりませんでした。
ぼくはまず、6種類ある「危険物取扱者」の資格をすべて取得しました。この資格は、火薬も含めた危険物の取り扱いをするのに欠かせません。つぎに、「火薬類取扱保安責任者資格」を取得ました。
これで、火薬類の特性を把握することができるようになりました。さらに、日本軍が使用した火薬の一部に毒物指定のものがあったため、「毒物劇物取扱責任者」の資格も取得しました、これによって、火薬類、黄燐、ピクリン酸などの特性も把握し、手榴弾から火薬を抜いて安全な状態にすることができるようになりました。
そしていよいよ、説明時に使用する「実物」を用意するために、火薬を抜いた手榴弾を警察署に持参し、安全確認を申し出ました。警察にはさらにそれを自衛隊に持ち込んでもらい、それが火薬の入っていない手榴弾や不発弾であり、安全なものであることを確認してもらいました。
現在では、沖縄戦での手榴弾の使われ方についての学習会をひらくときには、実物を使い、参加者に手に取ってもらいながら説明できるようになっています。
文/具志堅隆松
写真/『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』より出典