「そんなばかな!」手榴弾に残された自殺の痕跡

ぼくは、沖縄戦生き残りの元日本兵である高田俊秀さんの証言を思い出しました。
沖縄戦末期、高田さんは南へと追い詰められ、糸満の大度(おおど)の海岸で疲労のためひとりぼうぜんとしていると、すぐ近くで4、5人の女子学生が何かを話しているのが聞こえました。

「お母さんが迎えにきてくれない」とひとりが泣き出すのをみんなで慰めていましたが、しばらくして「いち、にい、さん」というかけ声が聞こえた後、爆発音がとどろきました。おどろいてふり向くと、身体の前面も内臓も顔面もない、背中の皮だけになった女子学生たちが後ろにのけぞっていたそうです。

ぼくは不発だった手榴弾をもう一度手に取ってみました。2方向から叩いた痕跡(こんせき)があります。一度叩いて爆発しなかったので、もう一度叩いていたのです。そして、それでもあきらめずにもう1個の手榴弾で自殺を果たしたのです。

「そんなばかな!」と思わず声に出してしまいました。あまりにも腹立たしく、そして悲しい事実でした。ぼくは胸がいっぱいになってしまって、何も考えることができなくなってしまいました。

もう外へ出ようと立ち上がると、壁の上の方に光るものがあることに気づきました。近づいてライトを照らしてみるとそれは金歯でした。歯槽骨(しそうこつ)もついていました。爆発で引きちぎれて飛び散った顔面の一部が、壁にひっかかっていたのです。

「とにかく出よう!」

外は空も海も青く、光にあふれていました。心地のよい風が吹いていました。しかし、ぼくはそれを受け入れることができませんでした。ガマの中の現実を思考の外に追いやることはできなかったのです。

「1つはアメリカ兵を殺すため、もう1つは…」10代の学徒隊にも渡された“2つの手榴弾”の使い道とは? 上半身のない遺骨が教える、沖縄戦における“自殺の強制”_2
西原町(那覇市の東)の構築壕では11体の日本兵の遺骨が出てきた。うち10体には自爆の痕があった。

上半身のない遺骨にある「共通点」

ぼくはこれまでの遺骨収集をふり返りました。

山中や原野で見つかる遺骨は、多くの場合、骨が折れていることはあっても、全身の骨がそろっていました。それに比べ、ガマや壕で見つかる遺骨には、上半身がないこともよくありました、上半身のない遺骨に共通しているのは、頭蓋骨がいくつかに割れて顔面がなく、肋骨も前面部分がなく、残っている肋骨が短いということでした。

残っている背骨も一部は細かくひび割れていて、指でつかむと崩れてしまいました。これは爆発の衝撃によって骨が劣化したためだったのでしょう。