上島さんが亡くなったあとには、ゆかりのあるテレビやラジオでさまざまな追悼番組が放送された。ネット上でも偲ぶ声が多く上がったことに、上島さんがいかにみんなに愛されていたかが表れていた気がする。
お通夜やお葬式にはダチョウ俱楽部のメンバーである肥後克広や寺門ジモンのほか、上島さんを囲んで頻繁に酒を飲むなど交流の深かった「竜兵会」のメンバーである有吉弘行や土田晃之、劇団ひとりら多くの後輩芸人も弔問に訪れ、涙あり笑いありだったことが、のちにメディアを通じて明らかにされた。

竜ちゃんは生前、仲間内で飲むと死生観を語るようなところがあった

――葬儀は密葬だったものの、上島さんを慕っていた芸人仲間が集い、いい雰囲気だったみたいですね。

大勢のお仲間に集まっていただき、すごくありがたかったです。みなさん泣いてくださったのですが、誰かが竜ちゃんの面白エピソードを言うと、そこから笑いが起きたり。棺のなかには肥後さんがおでんを入れてあげたいと言い、真空パックのモノを買ってきてくださったので、それを入れました。肥後さんは「靴はここ」「帽子はこっち」「ふんどしはここがいい」「手ぬぐいはそこ」という具合に、入れる場所まで丁寧に考えてくれました。

竜ちゃんは生前、仲間内で飲むと死生観を語るようなところがありました。最後の晩餐は「何がいい?」と後輩に聞き、「オレはドリアがいい」なんて答えたり。最後の晩餐って言うわりには、いつも私が直近に作って美味しかったものを言っているので、そういうところを突っ込まれるのも、らしかったというか。

「オレが亡くなったときは、笑って送ってほしい」

そんなこともよく言っていたので、葬儀のときは私もそうですし、肥後さんや寺門さん、竜兵会のみなさんも竜ちゃんのことを考えて送ってくれたんだと思います。誰かが「棺を落として竜ちゃんが転がった方が面白いよね」なんて言って、実際には転がさないですが、そこで笑いが起きたり。
こうしてインタビュー記事が文字になったりすると「なんで葬式で笑いが起きるんだ」「だから芸能人はロクでもない」という声があるかもしれませんが、私には集まったみなさんから竜ちゃんへの思いが感じられたことが本当にうれしかったです。

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――竜兵会はほぼ毎晩のように開催され、月の飲み代は約100万円だったと。

月によって多少バラつきはありましたけど、だいたいそうですね。決して高いお店に行っているわけではないですが、安いお店でも何軒もハシゴすればかさみますから。竜兵会の支払いは肥後さんがいれば2人の割り勘で、いなければすべて竜ちゃん持ち。

私としては、連日何軒も行く必要があるかどうかはわかりませんでしたが、竜ちゃんも志村けんさんなどにたくさんご馳走になってきて、自分がしてもらったことは後輩にもしてあげたいと考えていたんだと思います。

決してオレについて来いというタイプではなかったですが、みんなで和気あいあいやっていこうというのが竜ちゃん流で、いつもご馳走している後輩の方から、誕生日とかたまにご馳走になったりプレゼントをもらったりするとすごく喜んでいたのを覚えています。