衝撃に備えよ!

その中でも『幻の湖』。
数々の黒澤明監督作品に脚本家チームの中核として参加、1970年代に入ってからは自ら製作会社・橋本プロダクションを興し、『砂の器』(1974)『八甲田山』(1977)『八つ墓村』(1996)の大ヒットを連発した脚本家兼プロデューサーの橋本忍が、初の同名オリジナル小説を発表したのが2年前の1980年。
その本に折り込まれたチラシには、映画化決定、主演女優募集が告知されていたのです。

劇場に行かずして我先に映画を嘲り笑う心根の捻れた“映画好き”は、映画が好きなんじゃないんだ…樋口真嗣を淋しい気持ちにさせた、周年記念大作邦画とは!?【『幻の湖』】_3
樋口監督所蔵の原作書籍。なんと集英社刊である

橋本忍さんといえば近年の大ヒット大作だけでなく、私の人生を変えた映画になる『日本沈没』(1973)然り、『切腹』(1962)『日本のいちばん長い日』(1967)『人斬り』(1969)と、どれも揺るぎなき堅牢さを持ちつつ、と神の如き視点で俯瞰する現実に翻弄された人間の脆さを描きながら、あるときはマクロからミクロへ、あるいは時系列が…視点が大胆に飛躍する映画的興奮の連続が、当時中学生の私を虜にしたのです。

この脚本の力であの映画は“強く”なったのか!
そんな脚本家のオリジナル小説が映画になるとは!
しかも二十年余ぶりに監督まで手がけるとは!
ついに山が動くのです。 
こうしちゃいられません。
早く原作小説を読んでその衝撃に備えなければ———。
それがデキはといえば……………。

文字通り、幻になりかけていたこの映画、のちに心根の捻れた映画好きの俎上に上り、いいように笑いものにされます。
あの映画を当時、絶望的な不入りのため打ち切りになったわずか数日の上映期間に劇場に運んだ者のみが許されるはずなのに、DVDで見た連中のほうが我先に嘲り笑う傾向にありました。そういう人たちは映画というものがそんなに好きじゃないんだなと淋しい気分になりました。

とはいえ、身を挺してあの映画を庇えるかというと決してそういうわけではなかったのです。でも、あの映画化決定のチラシの入った小説を読んで、まだ見ぬ映画を夢想した時期はかけがえのないひとときだったのです。


文/樋口真嗣

『幻の湖』(1982) 上映時間・2時間44分/日本
原作・脚本・監督:橋本忍
出演:南條玲子、隆大介、星野知子、光田昌弘 他

劇場に行かずして我先に映画を嘲り笑う心根の捻れた“映画好き”は、映画が好きなんじゃないんだ…樋口真嗣を淋しい気持ちにさせた、周年記念大作邦画とは!?【『幻の湖』】_4

「幻の湖 <東宝DVD名作セレクション>」 DVD発売中 2,750円(税抜価格 2,500円)発売・販売元:東宝

風俗嬢の道子の趣味は琵琶湖湖畔のランニング。ある日、笛の音に誘われてひとりの男と出会い、不思議な縁を感じる。しかし、一緒に走っていた愛犬が殺されたことから、犯人を追って東京へ…。戦国時代から宇宙空間まで、時空をこえて展開する壮大なドラマ。長尺で難解なため劇場成績がふるわず、なかなかビデオグラム化もされず「幻の」作品と呼ばれたが、近年は見直されている。