老後への不安や独身ゆえの寂しさ
転機は還暦を迎えた頃に訪れた。
会社での年収がそれまでの6割に下がった。60歳を超えたための会社の規定だ。時期を同じくして、地方の実家で一人暮らしをしていた母の面倒を見ることになった。久志は40年以上住み続けた東京から引き揚げた。
高校生の時以来、久しぶりの実家暮らしだ。
日本では2010年代、80代の親が長年引きこもる50代の子供を支える「8050」問題と呼ばれる家族形態が顕在化した。それが高齢化し、次第に「9060」問題へと移行している。久志は引きこもっているわけではないが、90代の母親と60代の子供の2人暮らし、という家族形態に変わりはない。
独身ゆえの、身を切られるような寂しさ。そんな行く末を憂えている時に、マッチングアプリを介して幸子と出会ったのだ。これ以上の巡り合わせはないだろうと、久志は彼女に飛びついた。
「1か月もしないうちに本気になりました。私のことを急に褒めてきて、自分を満足させてくれる男性に出会ったことがなかったけど、僕のような人は初めてだと」
その期待を裏切っては申し訳ないという誠実な思いから、久志は医師国家試験に失敗し、人生に挫折した過去を打ち明けた。収入が少なく、年金生活を送っている現実も正直に伝えた。早い段階で自分を曝け出したつもりだったが、続く返信は、そんな久志の後ろめたい気持ちを見事に払拭してくれた。
「悲しむ必要はありません。私はあなたと一緒にいたいです。私はお金のことを気にしません。すぐにでも会いたいです。いい夢をみてください」