若かりし頃の夏木マリ。実は不遇だった?
「男も女も惚れる女」「このように年齢を重ねたい」そう世間に語られる夏木マリ。
彼女のこういったイメージはどのように形作られていったのであろうか。
夏木マリは昭和27年生まれで東京育ち。豊島岡女子学園時代にテレビのバックコーラスをしていた姿が関係者の目に留まり、昭和46年に清純派歌手として本名の中島淳子でデビュー。しかしこの時は全く売れず。
2年後にプロダクションを変え夏木マリと改名。セクシーな指の動きと大胆な歌詞の「絹の靴下」がヒットして世に出ることができた。ちなみに当時レコード会社がつけたキャッチフレーズは「マグネットのような女」である(男性を磁石のように惹きつけるという意味だったらしい)。
しかしその後はヒットに恵まれず、約8年間キャバレー回りをするなど、雌伏の時を過ごしたが、女優に転身し再度表舞台に浮上。五社英雄監督の映画『鬼龍院花子の生涯』『北の螢』で大胆なヌードシーンを披露し、当時大ヒットした角川映画『里見八犬伝』では敵の首領、玉梓役を妖艶に演じた。この頃は「悪」が演じられる貴重な俳優として重宝され、舞台などでも活躍した。
『里見八犬伝』において、血の池で100年間永遠の若さを保つ妖婦・玉梓を演じた時の夏木マリは31歳。今で言えば本田翼や指原莉乃くらいの年齢である。時代も違うが、その頃の夏木マリの貫禄たるや凄まじいものがあった。