誰も明菜を支配することはできない
日差しの強い、暑い日だった。山本は焦(じ)れるマスコミに対して、昼食後に取材の時間を設けることを約束し、200メートル以上離れた場所で待機するよう指示を出した。
約束の時間ちょうどに、マッチはバスを降り、姿を見せた。しかし、明菜は現れない。
マネージャーが明菜の乗るバスに駆け寄って行き、ドアを叩くが、返事がない。もう一人のマネージャーも駆け付けたが、それでも反応はなく、5分が過ぎ、やがて10分を超えた。噴き出す汗とスタッフ間に飛び交う怒号。時間は刻々と過ぎていく。
もはや限界だった。山本が意を決し、深呼吸してから扉を叩いた。「明菜」と名前を呼んでも反応はなく、一拍置いてから、再び声を掛けた。
「明菜始まるよ、行こうか」
するとバスの中から女性マネージャーの「すいません、何か」という声がして扉が動いた。その瞬間、山本が扉に手をかけ、一気に開けると、そこには明菜が立っていた。
「どうですか?山本さん、似合います?」
彼女はそう言って映画で使う衣装を誇示するようにポーズをとった後、バスから走り出て来た。
取材を放棄していれば、現場は混乱を極めたはずだった。彼女は仮にも先輩であるトップスターのマッチを待たせたうえで、そのピンチを自らの見せ場に変えた。そして胸のすくような結末で周りの気持ちを一気に掴んだ。誰も明菜を支配することはできない。そんな強さが当時の彼女を形作っていた。
“あの夜”から始まった近藤との秘めた恋は、彼女にとって唯一の“聖域”だった。
2人の仲はその後もマスコミの恰好の餌食となったが、彼女は近しい人たちの前ではその一途な思いを隠そうともしなかった。時には、近藤のレコーディング現場に手作りの弁当を届け、近藤の帰りを彼のマンションでひたすら待つ。互いの事務所も半ば公認で、誰も咎めることはなかった。
献身的に尽くした20代の恋は、やがて悲劇的な結末へと向かうことになるが、当時の明菜にとってはこの時代が、公私ともに充実し、将来の幸福の形を思い描くことができた絶頂期だったのかもしれない。
文/西﨑伸彦
写真/週刊明星1984年12月6日号
撮影/篠原伸佳