NHKスペシャルにインド側が激怒し、ニューデリー支局長のビザ更新が拒否

最後に、価値観をめぐる問題に、どう向き合うかを考えてみたい。もちろんいま述べたように、インド人といっても、いろいろな人がいる。

しかし、日本人とインド人のモノの考え方を比べると、同じ「アジア人」とはとても思えないくらいの違いがある。それはともかくとして、インドが日本と同じ、「自由民主主義」体制の国といえるのかも怪しい。インドではさまざまな差別・格差が依然として解消されているわけではない。以前も、ダリトの問題を扱ったNHKスペシャルにインド側が激怒し、ニューデリー支局長のビザ更新が拒否されるということがあった。

しかし、いまはもっと深刻だ。モディ政権下での「ヒンドゥー多数派主義」、マイノリティ、市民活動、メディアの弾圧をみれば、もはや自由民主主義の制度そのものが破壊されつつあるのではないか、という疑いさえ出てくる。そこに切り込もうとした日本の某新聞社の特派員は、インド外務省のブラックリストに載っているなどという話も聞く。

すでに論じたように、欧米はこのインドの現状を、自由民主主義からの逸脱として問題視し、外交レベルでも取り上げるようになっている。

たとえば、2022年4月、ワシントンで印米外務・防衛閣僚会合(2プラス2)が開催されたとき、アメリカのブリンケン国務長官は共同記者会見で、「政府、警察、刑務所の職員による人権侵害の増加を含め、インドで起きている最近の出来事を、われわれは監視している」と、人権状況について、深刻な懸念を表明し、警告を発した。

これは2プラス2会合前に、米議会で与党民主党所属の下院議員が、ムスリムへの差別的政策をつづけるモディ政権を痛烈に批判し、インドによりいっそう厳しい態度で臨むべきだとバイデン政権に迫ったことを受けての発言とみられている。

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インドにはインドの自由民主主義観がある

しかし、圧倒的な大国であるアメリカから、このように上から目線で説教されることに、インドのような誇り高い国が我慢できるはずはなかった。

ブリンケン国務長官の発言を受け、カウンターパートのジャイシャンカル外相は、その翌日、「われわれも、アメリカを含め、他国の人権状況について独自の見解をもっている」として、ニューヨークでシク教徒が襲撃を受けた事件を念頭に、アメリカにも人権侵害があると言い返した。同様の反発は、国務省の人権報告書や、国際宗教自由委員会(USCIRF)報告書などが出るたびにみられる。

かつてインドを植民地支配したイギリスをはじめ、ヨーロッパ各国、欧州議会なども、モディ政権下でのカシミール問題やムスリム差別、ウクライナ侵攻後のロシアに対する宥和的姿勢などに批判的な声をあげてきた。しかしこちらについても、インドは道義的に上から目線で言われているように感じているようだ。

2023年初め、英BBCは、2002年のグジャラート暴動に、当時州首相だったモディが関与したかについての検証番組を放映した。そうすると、モディ政権は「植民地主義思考だ」と反発するとともに、番組を視聴できるYouTubeやツイッターをことごとくブロックした。

さらにインド国内のBBC支局に対し、大規模な税務捜索まで実施してみせた。ジャイシャンカル外相らの発言からは、「ヨーロッパ中心主義」的な発想への反発がうかがえる。

モディ首相も、「われわれは民主主義の母」といってはばからないように、インドにはインドの自由民主主義観があるのであり、それを押し付けられるいわれはないと反発する。

「大国」として自尊心の強いインドに対して、欧米の価値観が普遍性をもつものだとして説教し、強制しようとするならば、利害の一致点を模索する努力はどこかに吹き飛んでしまい、価値観をめぐる「文明の衝突」に至ることになるとしても不思議ではない。そうなれば、クアッドを含め、自由民主主義の連携など、霧散してしまうだろう。

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『インドの正体-「未来の大国」の虚と実』 (中公新書ラクレ)
伊藤 融 
2023/4/7
902円
208ページ
ISBN:978-4121507938
この「厄介な国」とどう付き合うべきか?

「人口世界一」「IT大国」として注目され、西側と価値観を共有する「最大の民主主義国」とも礼賛されるインド。実は、事情通ほど「これほど食えない国はない」と不信感が高い。ロシアと西側との間でふらつき、カーストなど人権を侵害し、自由を弾圧する国を本当に信用していいのか? あまり報じられない陰の部分にメスを入れつつ、キレイ事抜きの実像を検証する。この「厄介な国」とどう付き合うべきか、専門家が前提から問い直す労作。
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