自治体のコスト意識の欠落…無定量の労働が強制されることはないはずが

第二に、国や自治体側のコスト意識を欠落させた。学校に新しい教育内容や課題を突きつけたところで、残業代が発生しないため、国や自治体は身銭を切ることがない。

給特法制定当時、文部省(当時)は無定量の労働が強制させられることはないと考え、一方で日本教職員組合は無定量の勤務の強制が現実化すると危惧していた(広田照幸「なぜ、このような働き方になってしまったのか:給特法の起源と改革の迷走」、内田良・広田照幸他『迷走する教員の働き方改革:変形労働時間制を考える』岩波ブックレット、2020年)。

結果的には後者が正しく、こうして学校は業務量の法的な抑止力を失ったまま、長時間労働への道を進んでいくこととなった。

定時を超えた業務は「自発的行為」…もはや地獄のブラック教育現場と、全てを教師に丸投げした国・自治体・学者の大罪_2

なお、コスト意識の欠落については、私たち教育学者も同罪である。これまでたしかに一部の教育学者の間には、教員の長時間労働を危惧する声もあった。だが総じて、教育上のさまざまな課題を論じる際に、その目線はいつも子どものほうに向けられていた。

サービス提供側(=教員)の人的資源の制約を前提にして、子どもへのサービス内容を検討すべきであった。だが、人的資源の制約よりもサービス内容の充実を優先させる形で、教育を語り、構想してきた。

こうして「○○教育」が新たに生み出され、次々と現場に降りていった。私たち教育学者は、教員の長時間労働を解消するどころか、むしろ長時間労働に荷担してきた。国や自治体からも、学者からも歯止めがかかることなく、教員には新たな業務が課され続けてきた。