2022年に、10周年を迎えたガールズケイリン。初となるG1レース『パールカップ』が開催されるなど、年々人気が高まっている。その美貌と実力で人気を集める塩田日海選手は、大学卒業後、内定していた企業への就職をやめて競輪選手となった。
ラグビー選手か、競輪かで迷ったという身体能力抜群の塩田選手はなぜ競輪選手となったのか。そして気になる競輪選手のプライベートまで。気になる質問全てを聞いてみた。
競輪経験やツテが
一切ない状態から選手へ
――公式プロフィールによると、身長162.2cm、背筋力147.0kg、太股60.0cmで、体重は非公表となっていますが。
そうなんですか?
――はい。生年月日や好きな食べ物、嫌いな食べ物まで書いてありますが、なぜか、塩田日海選手だけ、体重が非公表扱いになっていました。
どうしてかな? わからないです。太股のサイズまで書いてあるんですから、体重も載せてもらって問題ないのに(笑)。なんででしょう?
――その疑問はひとまず脇に置いて(笑)。塩田選手は3人姉妹の末っ子なんですよね。
三者三様で、一番上は偏差値が70と、めちゃめちゃ頭が良くてオクタ気質。真ん中はスポーツ万能の面白キャラ。末っ子の私はその中間という感じです。
――棒高跳びで、神奈川県の高校記録を出したり国体に出場されたり、スポーツ推薦で大学にも進んだわけですから中間ではないと思いますが…。でもなぜ、そもそも棒高跳びだったんでしょう?
中学のとき器械体操をやっていたんですが、それを知った顧問の先生が、「こいつは棒高跳びで伸びる」と目をつけていたみたいで(笑)。半ば強制的に棒を持たされ、そこから大学を卒業するまでの7年間は、棒高跳び一筋でした。
でも、先生のおかげで棒高跳びに出会うことができて、感謝しています。
――大学卒業後も、棒高跳びを続けるという選択はなかった?
それはありませんでしたが、ずっとスポーツだけやって来た私が、それ以外で働くことができるのか不安でした。
公務員試験の勉強もしていましたし、内定をいただいていた会社もあったんですが、まだまだ体は動くし、自分を活かせる場所がほかにあるんじゃないかと思っていたときにパッと目の前に現れたのが、女子ラグビーとガールズケイリンだったんです。
――最終的に、ガールズケイリンに決めたのは?
2つとも興味はあったんですが…ラグビーは社会人リーグ。午前中は会社員として働く必要がありました。でも競輪はプロとして一つのことに集中して取り組めるので、競輪に決めました。
日本競輪選手養成所のweb説明会に参加して、未経験でも参加できることを知りすぐに願書を提出、一次試験に受かるとは思っていなかったのですが、なんとか通過できました。
――二次試験には、自転車での走行能力を測るワットバイクがあります。
私の場合は、ワットバイクって何? というところからのスタートだったのですが(笑)、二次試験までに乗ってみなくちゃということで、川崎競輪場を紹介していただき、今の師匠、對馬太陽選手に繋いでいただいて…という細い糸のような縁を大切にして、ここまでやってきた感じです。