新聞配達の仕事だけで、3人の子供を育てようと…

彼女は劣悪な家庭環境で育ったことから、十代の時に家を飛び出した。水商売を転々としながら生きていく中で、三人の子供を産んだ。だが、父親に当たる男性は、子供たちを認知しなかったばかりか、養育費すら払わずに行方をくらましてしまった。

この女性は決心した。

「私が産んだんだから、自分一人で子育てをしよう。父親なんていらない。将来、子供たちに恥ずかしい思いをさせたくないから、水商売から足を洗って、新聞配達の仕事をすることにする」

新聞配達の仕事だけで3人の子供を育てようとして…児童相談所内で自殺を図った女性が黒い服を着続ける理由_2

発達障害のある人の中には、思考の振れ幅が極端な人がいる。彼女はまさにそうで、より報酬の高い水商売ではなく、新聞配達という厳しい仕事によって、3人の子供を育てることを決めたのだ。

しかし、発達障害のある女性が、新聞配達の仕事だけで、まったく公的支援に頼らず、3人の子供を育てていくのは至難の業だ。

毎朝午前2時には起きて新聞の配達所へ出勤しなければならない。自宅に帰るのは午前8時頃。それから子供たちを保育園へ送り届け、少しだけ仮眠をとって今度は夕刊の配達。その後、保育園に子供たちを迎えに行き、食事などの用意をして寝かしつけをすることになる。彼女はこうしたタイトなスケジュールをこなそうとしたが、発達障害の特性がその邪魔をした。

まず注意欠陥がひどく、彼女は子供たちの夕食をつくるのに4時間も5時間もかかった。料理をしようとしても、別のことに関心が向いてしまって一向に進まない。そのうちに時間だけが過ぎていき、子供たちはお腹を空かせたまま眠ってしまう。ご飯を食べさせてあげられるのは、週に1回か2回程度だった。

また、感覚過敏も深刻だった。彼女は特に聴覚が過敏で、駅など人の多いところへ行くと、あらゆる音がいっぺんに耳に飛び込んできてパニックになった。健常者は周りの音を選んで聞くことができるが、聴覚過敏の人はそれができないのである。

この聴覚過敏の影響は子供たちにも及んだ。住んでいたアパートには浴室がなかったため、近所の銭湯へ行く必要があった。だが、彼女は銭湯に行っても、聴覚過敏からそこに響く音に耐えられず、一分もしないうちにパニックになって飛び出してしまう。そのうちに銭湯からも足が遠のいていった。