AVデビュー告知15分前の母への電話
――撮影のことはお母さんには話せていたんですか?
いえ、作品がインターネット上で告知される30分前まで一切話しませんでした。友達にも親にも誰にも言わずに決めたことだし、進めていたから。
――じゃあ、名古屋から上京する時は?
「事務所に入る」とは伝えましたが、詳細は明かさなかったです。誰かに相談したら絶対に止められるし、その人に煩わしい思いをさせてしまうだけだと思ったので。
――実際にお母さんに報告した時は、どんな反応だったんですか。
その時私は海外で仕事をしていて、女性マネージャーさんと同じホテルの部屋にいて「じゃあ、電話するね」って母に電話したんです。「私、AVデビューするから。もう撮影しちゃって、あと15分後くらいに情報解禁されるから」って。
絶対に止められないって状況でしか言わないって決めてたんで。お母さんは「なんで?」「それ、やらなきゃいけないの?」って感じで絶句してました。私はもう「やらなきゃいけない、決めたから」みたいな感じでブチっと電話切っちゃって。
――そこから少し、お母さんとは疎遠になってしまったんですよね。
そうですね。それまでは毎日のようにLINEしてたけど、3ヶ月くらいは連絡しなかった。当時、母は介護士の仕事をしてて、周囲に「大丈夫?」とか聞かれたり、体面的なものからくるストレスが大きかったみたいです。
でもその後「認めはしないけど、とりあえず元気に生きて」みたいな感じで連絡が来て。そこから徐々に再びいい関係に戻った感じですね。
――お母さんが三上さんの活動を認めてくれたのは、やはり三上さんが本気で取り組んで結果も残したことが大きいですよね。何か親孝行というか、プレゼントとかもしてるんですか?
めちゃくちゃ恩返ししたいと思ってるんですけど、母は意外と受け取らないんです。母を東京に呼び寄せて、近くで暮らしてもらうために家を用意すると言っても「それはできない」と。
唯一きちんと受け取ってくれたのが、去年、私が立ち上げた会社の代表を母名義にしたことくらいで。
――最初の作品の1本目のギャラはどのくらいだったんですか?
TV番組『じっくり聞いタロウ』でも言いましたが、世田谷区の中古の戸建てを買えるかなくらいの金額です(笑)。お金はいつもちょこちょこ使ってなくなっちゃうタイプだったから、何か残るものをと思って記念にハリー・ウィンストンの200万円くらいの時計を買いました。
――今でもそれは使っているんですか?
今でもつけますよ。買った当時はそれに見合う服もなかったし、もったいなくてつけられなかった。むしろ今の方がつけられるようになりましたね。