ケイト・ブランシェットは、この惑星で最も優れた役者であるが、彼女自身にも駆け出しの時期がありました。
──リディア・ターを演じたケイト・ブランシェットさんは、今話されたテーマについては、どのような意見を持っていらっしゃったんでしょうか?
「ケイト・ブランシェットという人は、この惑星で最も優れた役者の1人だと思います。ですけれども、彼女にも若い時があったわけで、若いアーティストとして周りの人の好意に助けられて、今の場所まで歩いてきた。アーティストとして駆け出しの頃というのは、すごく優しく接してくれる人もいれば、先ほど言ったように、上の立場の人が、自分のポジションを取られたくないと思って潰そうとする人もいる。
その経験を、ケイト自身もしてきたのです。それは芸術の世界に限らず、どんな世界でもあることでしょう。『TAR/ター』では、ノエミ・エルランが演じたフランチェスカ・レンティーニという、リディア・ターのアシスタントの立場にある人物が出てきますが、ケイトにもフランチェスカのような時期があったということです」
──リディアとフランチェスカの関係性の変化は、この映画の最大の見どころのひとつですね。
「ええ、なので、ケイト自身、助けてくれる人もいれば、自分を蹴散らそうとする人もいるということは、ご自身の経験としてよく理解していました」
カラヤン、バーンスタイン、ゲルギエフなど多くの指揮者を調べ上げて、リディア・ターのスタイルが出来上がった。
──指揮者というのは肉体的に大きなパフォーマンスをしなくてはいけないので、女性には向かなかったと言われている時期もあったそうですが、今回、ケイトさんが具体的に参考にした指揮者のパフォーマンスとして、どのような人たちの名前が上がったんでしょうか。
「たくさんいます。もちろん、1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務めたヘルベルト・フォン・カラヤン。カラヤンと同時期に活躍したレナード・バーンスタイン。ナタリー・シュトゥッツマン、2015年から2022年までミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めたヴァレリー・アビサロヴィチ・ゲルギエフなど、もう彼女に聞かないとわからないぐらい多くの指揮者を見ていると思うんですが、それぞれの指揮者の特徴をとらえて、そこをベースにしてリディア・ターという指揮者のスタイルを作り上げていったと思います。
スタイルで言うと、先ほどのナタリー・シュトゥッツマンさんにケイトは一年以上、指揮を習い、撮影現場に来ていただき、二人でやり取りをしていました」
『TAR』は知られざる指揮者のリハーサル風景を見せる映画として作った。
──ナタリー・シュトゥッツマンさんは二人目の女性指揮者として2023年のバイロイト音楽祭で「タンホイザー」を指揮することが発表されていますね。また、ケイト・ブランシェットさんの指揮に関しては、TARとして指揮したマーラーの交響曲第5番の練習演奏の音源がそのままUniversal Musicから出たサントラ盤「TAR」に収録されていて、映画と音楽のコラボが非常にユニークな形で実現していて興奮します。
「この『TAR/ター』という作品は、実際の演奏会のパフォーマンスを描く映画ではなくて、リハーサルを見せる映画として作ったんですね。つまり、指揮者がどうやってリハーサルをしているのかを見ることを可能とした映画であるのです。そもそも、世の中に出ている指揮者の仕事というのは完成形であって、その過程を見ることはなかなかなかできない。本番までに交響楽団の演奏がどうやって作られていくのか、段階的に見ることが出来るという点で、『TAR』はとても面白い構成だと思います。
例えば、バースタインはどういうリハーサルをしていたのか、グスターボ・ドゥダメルが若い学生にどんなリハーサルをしているのか、そういうことを知るのはとても面白いと思うんです。リハーサル風景を重ねながら、指揮者として、その人が楽団にどういう姿勢を取っているのか、どんなスタイルでタクトを振るのか。それだけでなく、本当に著名なマエストロとなると、ステージに入ってきた瞬間、部屋の温度が変わると言われているような人たちを見て、ケイトはリディア・ターのスタイルを作り上げていったと思います」
リディアが家長的な振る舞いをしてしまうのは、若い頃に師事したのが権力を持った男性たちだったから。
──私はこの作品を見ながら非常に面白い違和感を抱えていたのですが、それはこれまでいろんな作品で見慣れてきたケイト・ブランシェットが、これまで見たこともない顔をずっとしていることでした。
なぜ、そう感じるのだろうと考えた結果、私たちが無意識に浮かべる媚びとか、男性世界で受け入れやすい表情を一切、取っ払うとああいうことになるのではないかと。意識的に男性社会から舐められるような女性性を排除したら、ああいう顔になるのかなと感じました。
そう考えると、リディア・ターは自身の見せ方において極めて高度なコントロールをしていて、その抑制はうまくいっているのだけれど、ここにきて、亀裂を来たす時期に来ているという解釈もできるのかなと。彼女がランニング中、林の向こうから姿の見えない女性の声が聞こえる場面が何度か象徴的に出てきますが、私自身は、リディアが押し殺している女性性の象徴かなと感じました。監督自身は、リディアの自己表現のアンバランスさはどうコンセプトされたのでしょうか?
「今の質問を正しく理解しているかどうか、はっきりわからないところもありますが、私の理解で言うと、リディアが男性的な家長的な社会の中で、非常に男性的な振る舞いを投影しているとしたら、それはリディアが若い時に師事したのが、権力を持った人たちが男性たちだったから。彼女のメンターが権威ある男性であったがために、そういう人たちの行いをそのまま身に着けていったということなんではないかなと思います」
──なるほど。私たちは若いときに師事したメンターに大きな影響を受けていると。
「男性性、女性性でこの作品の題材を語るにあたっては、そもそも男性性をどう定義するのか、女性性とはなにであるかと定義することによって語られるべきで、とてもとらえにくいコンセプトであるかと思いますし、ケイトともこのトピックについて話をしたわけではないんです。男性性、女性性という見地ではなく、私たちが話をしたのは、リディアが理想としている指揮者像とは誰なのか、どういう人なのかということでした。リディアがハーバード大学で、或いはカーティス音楽院で出会ってきたメンターたちはどういう人なのか、そこについてはケイトと多く話しました。
アーティストというのは、誰かの下で学んだ上で、誰かになりたいと思ったり、尊敬して、近づきたいと努力して研鑽していくわけですが、逆に、絶対そうなりたくないと思っている者にも近づいてしまうことがあります。例えば、私たちは絶対に親のようにはなりたくないと若いときは反発しますが、結局、親のようになってしまうこともある。そういう意味で、メンターはとても大きな存在だと思います」
映画『TAR/ター』
アカデミー賞主要6部門ノミネート。トッド・フィールド監督がケイト・ブランシェットのために創作したオリジナル脚本の映画化。世界最高峰のオーケストラの一つであるベルリン・フィルの首席指揮者に女性初で就任したリディア・ター。作曲家としても成功をおさめ、自身の自伝本の刊行と、念願のマーラーの交響曲第5番のコンサート収録を控えている中、少しづつ、彼女の日常が軋んでいく。そしてターが指導した若手指揮者の死をきっかけに、完璧だった日常の亀裂が露になっていく。
ケイト・ブランシェットが表現者としての格闘の姿を、迫力を持って演じていて、目が離せない。
監督・脚本・製作:トッド・フィールド『イン・ザ・ベッドルーム』『リトル・チルドレン』
出演:ケイト・ブランシェット『ブルージャスミン』、ニーナ・ホス『あの日のように抱きしめて』、マーク・ストロング『キングスマン』、ジュリアン・グローヴァ―『インディー・ジョーンズ/最後の聖戦』
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル 『ジョーカー』(アカデミー賞作曲賞受賞)
原題:TÀR/アメリカ/2022年 © 2022 FOCUS FEATURES LLC.
配給:ギャガ
★5月12日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか、全国にてロードショー公開。