『大日本帝国』大ヒット。しかしその上をいったのは…

その勢いに対抗すべく、東映は次なる戦争大作をぶち上げます。

『大日本帝国』(1982)。第二次世界大戦の敗北、すなわち帝国の滅亡へ向かう悲劇を、軍人、市井の人々、戦争指導者といったあらゆる視点から笠原和夫さん(脚本)が凄まじい気迫で描いた大作で、監督は日活で石原裕次郎を育て上げた舛田利雄さん。

太平洋戦争の苦しみをさまざまな視点から描き抜く。『二百三高知に』続き樋口真嗣を圧倒するこの戦争大作を世に送った舛田利雄監督は、ほぼ同時にアハハンなヒット作も撮っていた!【『大日本帝国』】_3
舛田利雄監督ならではの大スケールで描かれる『大日本帝国』 
1982年公開 ©東映
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バイタリティあふれる作風が特徴で、1960年代末に所属していた日活の経営が悪化したため退社し、黒澤明監督が降板させられた日米合作映画『トラ!トラ!トラ!』(1970)の日本側監督を深作欣二氏とともに担当。太平洋戦争の始まりを描いてからは東宝に行き、『人間革命』(1973)で創価学会の始まりを描き、『ノストラダムスの大予言』(1974)では人類の最期を描き、アニメにまで手を広げて劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977)でも滅亡に瀕した地球を…と、観客数も激減して萎縮気味の企画ばかりだった日本映画において、スケール感の大きな作品を手堅くまとめて次々にヒットさせ、『二百三高地』に引き続いての『大日本帝国』であります。この時代の東宝特撮を指揮した中野昭慶監督とは『ノストラダムスの大予言』以来の仲で、会社の壁を越えての共同作業です。

本作でも空母加賀の大きなミニチュアが製作され、夜間訓練の場面なので誘導灯の電飾が施されてプールに浮かんでいました。 第二次大戦——太平洋戦争は、国家の都合によって全国民が巻き込まれた戦争です。反対していようがおかまいなしに巻き込まれ、有無もなく戦地に向かう。その理不尽をさまざまな視点で描き、血の出るような叫びで埋め尽くされる。生きること、死ぬことを考えざるを得ない、しかもその自由を奪うことこそ戦争という愚行である——圧倒的な映画でした。

なのに当時の批評では、好戦的な映画という意見がほとんどだったのです。どうしてこの結末を見て好戦的に見えるのか、ちっとも理解できませんでしたが、いつでも娯楽映画としてのダイナミズムは忘れない、舛田利雄監督のサービス精神がそう誤解させたのかもしれません。

ちなみに公開日である1982年8月7日に東宝系で公開されたのが『ハイティーン・ブギ』(1982)でした。前年から始まったジャニーズ事務所の男性アイドル、田原俊彦、野村義男、近藤真彦の3人の頭文字をとって田野近=たのきんトリオ主演のたのきんスーパーヒットシリーズ第4弾で、牧野和子さんの少女漫画の映画化なんですけど……その監督が舛田利雄さんなんですよ! 同じ日に別の会社の勝負作なのに監督が同じって信じられません。一体いつ撮っていたのでしょうか?  しかも興行収入は、14億円でその年第7位の『大日本帝国』を上回り、18億円で第4位。 これぞ日活全盛期に培ったバイタリティというものです。

文/樋口真嗣

『大日本帝国』(1982) 上映時間:3時間/日本
監督:舛田利雄
脚本:笠原和夫
出演:丹波哲郎、三浦友和、西郷輝彦、関根恵子、夏目雅子 他

太平洋戦争の苦しみをさまざまな視点から描き抜く。『二百三高知に』続き樋口真嗣を圧倒するこの戦争大作を世に送った舛田利雄監督は、ほぼ同時にアハハンなヒット作も撮っていた!【『大日本帝国』】_4

『大日本帝国』1982年公開©東映

アメリカとの和解の道が潰え、開戦。苦悩しながら指揮をとる東条英機ら首脳陣。南方戦線で苦悶をなめる青年将校。結婚直後に出征する理髪師。無事を祈りながら必死で生きるその妻や恋人たち。軍人から庶民まで、理不尽な戦争に翻弄されるさまざまな立場の日本人を描いた戦争群像劇。太平洋戦争の約4年間を、迫力ある戦闘シーンを交えながら3時間に集約、大ヒットを記録した。