いかの加工業から始まった歴史

広島県呉市にかまえるスグル食品。

前身の会社はいかを甘く味付けして加工した食品を販売していたものの、倒産の憂き目に。その後の1973年に創業者一族が、再び起業したのがスグル食品だったという。

「スタートから波乱万丈だったようで、前身となった会社が廃業してしまっていたので、いかの取引を行ってくれるところがなかったそうです。そこで当時の社長が何とか代わりになる商品をと探し回っていたところ、広島県福山市で魚のすり身をシート状にする『プッチン』という加工技術に出会います。
さっそくプッチンを原料として仕入れ、最初の商品として魚のすり身といか粉を混ぜ、シート状にして甘いタレに漬け込んだ『いかサーティー』を発売したんです。ほのかにいかの香りが漂う魚肉シートに、醤油と砂糖で甘く味付けした商品で、今でも販売しているんですよ」(スグル食品総合企画室・大塩和孝氏、以下同)

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いかサーティーは甘じょっぱい味付け
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その後、スグル食品はプッチンした魚肉をフライにした「いか味天」を発売するなど、今日まで愛されるロングセラー商品を生み出す。
ただ、当時はお酒のおつまみとして嗜まれることが多かったらしく、メインターゲットはあくまでも大人。出発地点は子どもたちに愛される駄菓子ではなかったというのはちょっと驚きである。

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サクサク食感が特徴的な「いか味天」