編集者としてできることはあったのか
12年前、2011年の3月当時、私は美容雑誌マキアの副編集長だった。
日々の業務に忙殺され、毎日が矢のように過ぎていく中での未曾有の出来事だった。
震災直後の筆舌に尽くしがたい状況についてはもはや多くは語らない。語る資格もない。
震災後、数日してすぐに感じたのは、マスコミの片隅にいながら何も役に立てないという歯がゆさと無力感だった。
テレビ、ラジオは刻一刻と移り変わる状況、情報を途切れることなく伝える。
週刊誌のグラビアは現地のリアルでシビアなシーンを切り取ってくる。
ネットメディアに至ってはその即時性のメリットを存分に発揮し、多くのものをインターネット上に掲げた。
SNSの波及効果も伴い、被災地のことだけでなく、その周辺の情報までも幅広く拾った。ずいぶんとデマも飛び交ったが、役に立つものも間違いなくネットを通して伝わっていった。
そこからさらに時間が少し経つと、救援物資、ボランティアなど、それぞれが出来ること、何が支援につながるのか、ということが話題になり始めた。
3月21日に仙台市内の書店に持ち込まれた1冊の「少年ジャンプ」を現地の子どもたちが回し読みしてボロボロになったという、わずかでも救いを感じさせる心温まる話も広まった。
では、自分は雑誌編集者としてどうすればいいのか。
報道もできない。
娯楽で元気を与えることもできない。
個人でできることはむしろある。金銭の寄付は間違いなく役立つ。
そのころ、SNS、特にTwitterは情報や連絡の伝達にいちばん重宝され、さまざまな企業が震災地にエイドしている内容がツイートされていた。
せめても、と、それをせっせと公式アカウントでRTした。
日本人は奥ゆかしい民族だから、支援やボランティア活動をアピールしない傾向があるね、と以前外国の方に言われたことを思い出し、だったら第三者の立場からアピールしよう、もっともっと広げよう、という、せめてもの思いだった。
仕事でご縁のあるクライアントに、そういったことで自分たちで伝えられることがあればなんでも共有してほしい、と頼んだ。
被災地では、お金や水や食料ももちろんだが、生理用品、紙おむつ、歯磨き、歯ブラシ、石鹸、シャンプーといった洗面・衛生用品が圧倒的に不足していると聞き、ある企業のPRに恐る恐る、それを支援してもらえないかと頼んでみた。
「大丈夫ですよ、志沢さん。生理用品と紙おむつ、水なしシャンプーの大量手配、終わってます!」
酵母たっぷりのハイクラス化粧水で有名なそのブランドはこうした衛生用品も幅広く扱っていた。私なんぞの出る幕じゃなかったな、と汗顔しつつも、ふだんは美容液やらクリームやらのプレゼンをしている女性PRの笑顔がメールの向こうに浮かんだ。
誰もが知るヨーロッパの有名コスメブランドもすでに、主に女性が必要とするであろうアイテムをたくさん現地に手配し、金銭的にも多額の寄付をしていた。
まったく知られていないその事実を、編集部でツイートしていいかと尋ねれば「お気持ち、感謝します。でも当社では、こうしたことを公言することはあまり好みませんので」とにっこりと言われた。
さすがノブレス・オブリージュの精神が根付く国……けれどそれは決してスノッブでも気取った感じでもなく、いかにもこの会社らしいなと感服した。
結局マキアに所属する自分は己れの立場を生かして何かできることもなく、せいぜいが有名人の支援コメントを誌面にのせたり、小さなイベントを企画したりが精いっぱいだった。
仙台の老舗百貨店のコスメ売り場で最初に売れたもの
少しずつ少しずつ、復旧・復興が進む中、仙台の老舗百貨店が4月下旬に営業を再開したというニュースがやってきた。
「志沢さん、うちの売り場で最初に売れたもの、なんだと思います?」
国内大手の化粧品会社のPRの方が笑顔で訊ねてきた。
なんだろう? 洗顔フォーム、日焼け止め……それともお肌のためにクリーム?? スキンケア??
「口紅なんですよ」
聞いたとたん、涙が溢れた。
ああ、そこまで来たのだな、と。
まだまだ先は長いけど、歯磨きとか洗顔とかの心配の少し先で、口紅をひきたいと思える女性もでてきたのだなと。
きっとまたいつか、口紅をひいてきれいになりたい、きれいに見せたい、と思えるようになった女性たちが増えていく。
その時にマキアの記事が少しでも役立てるようにしておこう。
きれいというものが、人間の、女性の原動力のひとつであることも改めて教えてもらった。
あれから12年。
毎年3月11日が来る度、このことを思い出す。
文/集英社オンライン