「自宅だけが無事」だったため、支援を受けられないケースも

【東日本大震災12年】「3789人の命は救えたのではないか」死者、行方不明者の20%を占める「災害関連死」をゼロにするために必要なこと_2
山川徹。1977年生まれ、フリーライター。東日本大震災、熊本地震、新潟県中越地震などで「災害関連死」とされた5000人以上の死者たちの残した声なき声を綴ったノンフィクション『最期の声 ドキュメント災害関連死』が発売中

山川 確かに発災から間もなく亡くなるケースを災害関連死と考える人が多いようですが、私が取材したなかでは、3・11で自宅を流されて、避難所から仮設住宅へ、という環境の変化のなかで、うつを発症し、震災から6年後に自ら命を絶ってしまった人がいました。

災害関連死の取材を通して、災害は被災した人の心身を長期間にわたって蝕んでいく現実を突きつけられました。3・11から10年目だった20年3月から21年3月までの間に、福島県で5人、岩手県でも1人が災害関連死で亡くなっています。

在間 被害は長期にわたって被災した人を苦しめる。ぼくがサポートした事例でも、3・11の数年後に災害公営住宅で亡くなった人がいました。

山川 避難所を出て、数年間の仮設住宅での生活を経て、災害公営住宅に移る……。その時点で、災害の影響から脱した、生活が再建できた、と世間は受け止めるのでしょう。なかには「被災者はいつまでも支援に頼らずに自立しろ」と語る人もいるくらいですから。

在間 発災直後の応急期の支援が重要なのは言うまでもありませんが、災害関連死をゼロにするためには、中長期的な支援が欠かせません。ただし、画一的な支援制度の網の目からこぼれ落ちてしまう人は少なからず存在する。たとえば、様々な事情で避難所にも入れずに、損壊した自宅で避難生活を送る人がいます。

山川 在宅被災者ですね。

在間 そうです。そうした人をどう支えていくか。3・11関連で僕がお手伝いしたなかにも従来の支援制度から取り残された人がいました。彼は個人事業主で、賃貸の店舗を流されてしまった。自宅に被害はなかったものの、職を失った。にもかかわらず彼は自宅が無事だったために被災者としてあつかわれず、公的な支援の対象にはなりませんでした。

最大100万円支給される生活再建支援金も、義捐金も支払われなかった。自営業だったので失業手当もない。収入をたたれてしまった彼は、大学進学を控えた子どものために、事業再開に向けて一生懸命に動きました。しかし震災から9カ月後、ストレスと持病だった高血圧の悪化により、心筋梗塞で亡くなってしまう。

山川 金銭的なサポートがあれば、もう少し余裕を持って生活再建ができた可能性があったわけですね。

在間 被害の実態は人それぞれです。必要とするのは、医療的な支援か、経済的な支援か、法的な支援か……個別の事情を把握し、ニーズに合わせてアプローチすべきなんです。

山川 災害が起きる前に、基礎疾患や障害を持つ人、高齢者ら要配慮者、要支援者と呼ばれる人の把握も重要になります。原発事故後、関西地方に避難したものの、うつ病になり、震災から半年後に自ら命を絶った外国人男性の遺族にインタビューした経験があります。

避難所の利用の仕方、支援物資を受け取れる場所……日本人にとっては当たり前のことでも、外国人にとってはひとつひとつが高いハードルになる。当初遺族は、震災から時間が経ちすぎているから、災害関連死に該当するとは思わなかったそうです。支援者に関連死ではないかと教えられて自治体に申請したと話してくれました。

在間 実際、そうした遺族はとても多いと思います。