「らしさ」全開のダウ90000、ヨネダ2000という価値

お正月の『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)。天才蓮見翔率いる平均年齢24歳の8人組ダウ90000が「間違い探し」のコントを披露していた。

彼らの「らしさ」は、若い世代ならではの設定、会話、空気感であり、客層も含めてホームである劇場でこそ伝わるもの。少なくともダウンタウンの同期のハイヒールが漫才をしたすぐ後にやるようなものではないと思っていた。

しかしすごくウケていた。

もちろん劇場のバージョンに比べれば若干テレビ向けに変えていた部分はあったが、若者の日常感あふれる会話劇はこれぞダウ90000というものであり、その魅力が「画面越しのお茶の間」にも十分伝わることを証明して見せた。

また、『M-1グランプリ』では博多大吉が審査についてポッドキャストで話した回が話題になったが、そこでヨネダ2000が「DA PUMPのKENZO」と言った部分について「シニア世代がわからないだろうと気を使って説明でいれたのかもしれないが、不要だった」と語っていた。

実際に彼女たちがそのフレーズをいれた意図は不明だ。しかしヨネダに期待されていたのはシニアな審査員が頭で理解するのをあきらめるような本能に訴えかける面白さであり、そこで意味を説明するようなワードが出てきたのは少し野暮に見えたということだろう。

テレビだからといって過度にシニアに気を使う必要はないのだ。
過保護にしなくてもちゃんと伝わる。わからないなら、わからないことを楽しめばいいだけのことだ。

山田邦子の一言が投げかけた「たとえ話」のOKライン。テレビは「全員が分かる」の呪縛を乗り越えられるのか!?_1
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「縛られずに楽しむ」テレビの新常識は生まれるか?

これまで、若手芸能人がベテラン芸能人に忖度してその層にウケそうなたとえや行動を付け焼き刃でしてきた歴史が、なかなかテレビ界の世代交代が進まない原因でもあった。そして番組の作り手も過剰に「全員わかる」ということに気を使いすぎていたように思う。

しかし近年、作り手も出演者も新しい世代がどんどん出てきている。テレビはオールドメディアと卑下しているのはむしろベテランばかりで、若い世代はテレビというメディアにいろんな可能性を見出している。

地上波テレビは「老若男女が見る」ものであり「不特定多数に向けて発信する」ものでもあるからこそ、いろんな世代のボキャブラリーが飛び交う場所になってくれればいい。そう願っている。

直近、山田邦子はラジオ番組で『M-1グランプリ』のことを振り返り「榮倉奈々」の箇所は「IKKO」であるべきだったと後悔の念を語ったと聞く。

個人的には「IKKO」もまた、あの場での正解ではなかったと思うが、私としてもまだ正しい答えは見つかっていない。

次回の『M-1グランプリ』、百戦錬磨の邦ちゃんが再び自分のことを誰かにたとえ、爆笑をとることを期待している。

文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太