石垣島、民意を問うことなく進む基地建設

昨年末、私は2年ぶりに石垣島へ飛んだ。今年3月に開設予定の自衛隊ミサイル基地建設が急ピッチで進んでいる。建設開始当初の2019年以来、コロナ禍を挟み、久しぶりに訪れることができた。

街には「コロナ禍を終えた」との雰囲気で観光客が戻り、年末年始とも重なって、宿泊施設の予約が困難なほどに賑わっていた。その光景は、報道にあるような台湾有事の危機とは矛盾して感じられた。

ただ、自衛隊建設の話になると、公の場ではたいてい皆、小声になる。人口5万人の島だ。親戚や友人関係など複雑に絡み合う中で、簡単に賛成反対などと口にすることはできない。その空気はこの2年来ない間に強くなっており、私が暮らす名護市(辺野古新基地建設を抱える)とも似た重苦しさを感じる。

この島では本来、行われるはずの住民投票が今も行われないままだ。

2018年10月31日からの1ヶ月間に「石垣市住民投票を求める会」の若者たちは、有権者の約37% 14,263筆の署名を集め市長に提出した。これは‘石垣市平得大俣への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票’という趣旨で集められた署名で、自衛隊配備自体の賛否を問うものではない。住民投票の会は、賛成反対の対立ではなく島のために議論をしよう、建設地選定のプロセスへの疑問など、現実を見つめて意見を出し合おうという試みだった。人口5万人の狭い島の中で、島民同士の対立を避け、共同体を守ろうとする丁寧な配慮を感じた。

この署名数は自治基本条例が義務付ける有権者の4分の1という署名数を大きく上回り、市長の得票数にさえ匹敵する(選挙によっては上回る)ものだ。

しかし、2019年2月1日に石垣市議会は住民投票の開催を否決した。その際、中山石垣市長はこう答えている。「安全保障は我が国全体に影響を及ぼすことですので、一地方自治体の住民投票で決めるのはそぐわない。適切な判断をしていただいたと思います」

住民投票をすれば、あたかも自衛隊反対票が上回るような口ぶりに違和感があった。まして前述のとおり、この住民投票自体は、自衛隊配備の賛否を問うものではなく、あくまで平得大俣への配備を問うものなのだが……。

住民投票拒否直後の3月、自衛隊基地建設は着工された。県の環境アセス条例が4月に改定される前に駆け込んだ形だ。地域住民への説明や正当な法的手続きから逃れるようにして、工事は開始されたのだった。

2019年3月1日、着工の日も私はこの場所にいた。蝶が飛び回る森のなかに重機の音がけたたましく響き渡る。そこに集ったのは、政治運動には慣れていない、長靴を履いたままの、さっきまで農作業をしていたといういでたちの地元の農家の方々だった。この場所の周辺地域はマンゴーやパインの農園が広がる島内有数の耕作地帯である。何世代もかけて島の人々が切り拓き、守ってきた豊かな土壌なのだ。切実な表情が胸に迫る。泣き出す人もいた。

「軍は住民を守らない。基地の配備自体がこの島を危険にさらしてしまうのではないか」住民たちの想いは、悲惨な沖縄戦の実体験に基づいている。

第二次大戦下、この石垣島は地上戦こそなかったものの、島にあった飛行場を中心に英米軍による空襲や艦砲射撃を受けた。8千人もの日本兵が配備され、食糧の強奪や家畜の無断屠殺も行われた。13歳以上の少年たちも鉄血勤皇隊として徴兵され、爆弾をかかえ米軍車両突撃する特攻訓練を強いられた。女学生たちも看護要員として動員され「琉球人、琉球人」と馬鹿にされながら重労働に従事した。さらに、日本軍によって山間部に強制疎開させられた住民たちはマラリアに感染し、3500人以上、島民の2割以上が死亡した壮絶な歴史がある(総務省資料より)。

また、あまり公にされることはないが、日本陸軍向けの慰安所もこの島には数カ所設置され、日本の植民地下にあった韓国、台湾人女性、そして地元・石垣、八重山の女性たちも1日100人から200人の日本兵を相手に性行為を強制されたとの証言がある。

「祈りなしでは平和は来ないと思います。祈りだけでも平和は来ないかもしれませんが皆さんと一緒に祈らせていただきます」

山里節子さんの即興歌「とぅばらーま」が悲しみとともに亜熱帯の木々を揺らしていた。84歳になる彼女も、母をマラリアで失いながら沖縄戦を生き延びた歴史の証人である。

「政府は沖縄を再び戦場にするのか?」自衛隊配備の現場を行く・石垣島編_3
命と暮らしを守るオバーたちの会 山里節子さん、2019年3月

基地建設が進む地域は於茂登岳の麓にあり、島民の生活に欠かせない水を育んできた水源地でもある。環境アセスメントを逃れて工事が始まったことで、水質への影響の懸念も払拭されないままだ。

「しかしなぜこの場所が選ばれたのか?」防衛局から住民への説明がなされていない現状に人々は大きな不信感を抱いていた。

この場所への自衛隊配備を知ったのは、地元住民ですら新聞紙面によってだった。