――まずは、なぜ栗城史多さんについてノンフィクションを書き始めようと思われたのか、執筆の経緯について教えてください。
河野 2008年から2009年にかけての約2年間、勤務する北海道放送でドキュメンタリー番組制作のために栗城さんを密着取材していました。しかしその後はずっと疎遠になっていました。
それから約10年が経って、2018年に突然の訃報を聞いて驚いたんですね。それも、エベレストの登山中に亡くなったと。
理由については主要なメディアが報じてくれるんだろうなと思っていたんですけれども、少なくともテレビから聞こえてきたのはお悔やみの言葉ばかりで、それがなんとも薄気味悪く感じました。しかも、当初は死因については「低体温症」という誤報だった。その後、だんだんと詳細がわかってきても、「滑落死」と「体調不良」という2つのキーワードが繰り返されるばかりでした。
僕の中では、彼は登山家というよりも、登山を観客に届ける「エンターテイナー」でした。「ただ登るだけじゃつまらない」と言い放ったこともあります。もう登山は引退しているのではないかとも思っていました。それなのに、なぜ彼は亡くなる直前までエベレストに挑み続けたんだろうという、その理由を知りたくなったというのがまず一番の動機です。
そしてもう一つの理由ですが、僕はかつて短い期間、彼のことをブログに書いていたことがあります。その反響が、予想を遥かに超えて大きかった。知らない間に彼が非常にビッグな存在になっていて、僕のような無名のテレビマンのブログにあれだけの反応が来たことに本当にびっくりしたんですね。
10年前の栗城さんのイメージは、世間的に知名度が上がってきていながらも、取材の約束を破ったり、番組制作の途中で音信不通になってしまったりする「困ったおにいちゃん」というもの。
その後、ネットを中心に激しいバッシングを浴びるようにもなっていて、そのことも僕はまったく知りませんでした。
その10年の間に、彼に一体何が起こったんだろう。栗城さんの「空白の10年間」を知りたいなあという思いが、取材を始めるきっかけになりました。