子を庇う
なお、冒頭陳述で裕子さんは、97年1月頃に松永と緒方から「あんたにサラ金から借りてもらったカネは使ってしまい、もう残っていない。
あんたの生活費に使ったのだから、自分たちには責任がない。あんたは内縁でもなんでもなく、赤の他人なんだから」などと冷たく言い放たれたことで、当初から二人が自分をカネづるにするつもりで近づいてきたこと、松永には結婚の意思など毛頭なかったことを悟ったとある。
〈しかし、被害者乙は、既に精神的にも肉体的にもボロボロで、涙も枯れ果てており、被告人松永から裏切られていたことをなじる言葉すら発することができなかった〉
そのような状態が2カ月近く続いた97年3月中旬。裕子さんに通電しながら松永が、「電気を通して死んだ馬鹿な奴がいる」や「自分を脅迫した相手が踏切事故で死んだ」と恐怖感をさらに煽る言葉を口にしたことから、彼女は生命の危険を感じるようになった。そして曽根アパートの二階窓から飛び降りて逃走。入院加療約133日間を要する重傷を負ったというものだ。
これらに被告人の二人を逮捕した経緯などを加え、1時間余りかけた検察側の冒頭陳述は終了した。すると、緒方が手を挙げて発言を求める。
「どうして私の子の実名が出なければならないんでしょうか。被害者の方は名前が伏せられています」
冒頭陳述で〈被告人両名の身上、経歴等〉について触れた際に、彼らの長男、次男の実名が出たことに抗議の声を上げたのである。その緒方の言葉を受け、すぐに松永が「子供のことについて、純子が言うように問題があるんじゃないですか」と大声で追従した。
二人の弁護団が、被害者が匿名となるのと同様、子供についても配慮すべきだと抗議するなどした結果、裁判長は「これからは長男、次男とします」と新たな方針を表明した。
その後、検察側が申請した証拠書類について、弁護側が被害者甲(清美さん)による供述調書などは「同意」とし、被害者乙(裕子さん)による調書類については、その多くが「不同意」であるということを示した。
最後に、次回の第三回公判は10月7日の予定であると日時を指定してから、午後5時25分に裁判長が閉廷を告げた。
同公判が終了したとき、刑務官に手錠をかけられた緒方は、先に立ち上がって出口に進む途中で、まだ座っていた松永の目の前に顔を近づけ、「大丈夫?」とでもいうような笑顔を見せた。それから弁護団の前を通る際にも、なにかを語りかけると、ふたたび笑顔を見せた。第一回公判の終了時と同じくいくぶんこわばった表情の松永と、笑顔を見せた緒方の姿は対照的だった。
この段階で二人は、捜査員による殺人容疑の追及について、依然として“黙秘”を貫いていた。
取材・文/小野一光