芸人の間で起こった“あるあるブーム”
ケンドーコバヤシの尽力もあり、一般ウケするより先に芸人仲間の間で“あるあるブーム”が広がっていった。
「2010年以降は仕事よりも飲み会であるあるを歌いまくってましたね。その頃といえば、相方のHGのブームもひと段落し、おこぼれにあずかることもなくなり、かといってあるあるで仕事が急増したわけでもなく。
でも、腐らずとにかく飲み会には顔を出してました。特に千原ジュニアさんの集まりには必ず参加して、毎回あるあるをやってました。『もうバービーボーイズはええて!』と本気で突っ込まれるほど何度もやりました(笑)。
博多大吉さんも初期からあるあるを気に入ってくれた先輩のひとり。楽屋で僕と顔を合わせるたび必ず、あるあるを振ってくれたんです」
そうして地道なネタ作りを繰り返していく中、またケンコバがチャンスメイクした。
「『(木曜JUNK ZERO ケンドーコバヤシの)テメオコ』(TBSラジオ)でゲストに呼んでもらい、あるあるを歌いまくりました。
その後、年末番組『楽屋ニュース』(テレビ朝日)で『RG、なんかとんでもないネタ編み出したらしいな?』と紹介してくれて。焼き鳥屋でやった手羽あるあるを披露したんです」
「手羽あるあるなんてないよな?」と前振りがあり、RGが「手羽あるある、1個だけあります」とネタに入る。
「あるある言いたい。はーやーく言いた~い~」と延々と歌い続けるRGに「はよ言えや!」と周りの芸人と呼吸を合わせる団体芸のスタイルができ上がったのもちょうどこの頃だ。
「ネタの入り方はケンコバさん相手にあるあるをやり続けていつの間にか確立されたもの。中でも今田(耕司)さんの突っ込みは絶妙。僕の歌を邪魔しないここぞというタイミングで言ってくれる。それがいろんな芸人仲間に浸透していって。
この怒涛の“あるあるスパーリング”のおかげでめちゃくちゃ鍛えられ、それが仕事につながっていったというか、つなげてもらったというか。仕事もお金もない自分が少しずつ自信をつけていきました。だからあるあるは、みんなに味付けをしてもらって完成した団体芸なんですよ」