田臥「3年間で一番、負ける気がしなかった」
97年8月の京都インターハイ。能代工は準決勝までの4試合中、3試合が100点ゲームと圧倒的な強さを披露した。
強度を高めた怒涛のオフェンスで相手の出鼻を挫く。そして、能代工伝統のゾーンディフェンスも前年以上に洗練されていた。
畑山が自陣の3ポイントラインのトップで守る。田臥と若月がサイドを固め、菊地がその反対側で守備の領域を作る。ゴール下では、屈強な砦の小嶋が行く手を阻む。オールコートプレスで相手のスピードを鈍らせながらゾーンの陣形を敷き、隙を突いて畑山と田臥がスティールしてボールを奪い、攻勢に転じる。絶え間なく続く能代のプレッシャーは、相手の戦意を削いでいった。
決勝の洛南戦も、王者は相手を難なく捻じ伏せた。
試合開始直後から田臥がドライブで敵陣に切り込み、ゴールを決める。相手ディフェンスが警戒すればするほど、畑山のマークが薄くなってボールが渡りやすくなり、3ポイントを連発できる。そして、攻守が切り替わればオールコートとゾーンプレスでボールを奪う――。結果は120-58。完勝だった。
この試合で6本の3ポイントシュートを決め、得点源としても機能した畑山が「内容も求められた勝利」を冷静に誇る。
「自分に限らず、特別なことはしてなかったと思います。みんながルーズボールを必死に捕りにいったり、しっかり守ったから相手をゾーンの罠にハメられたのかなと。求められている瞬時の判断とかプレーの質は、(加藤)三彦先生の考えていることと同じくらいのレベルでできるようになっていたと思います」
獲るべくして獲った、97年の初タイトル。
畑山ら3年生から「伸び伸びやっていい」と頼られ、2年生にして絶対的なエースとなった田臥の漲るプライドが、このチームがいかに成熟されていたかを表していた。
「強かったですね。3年間で一番、負ける気がしなかったです」
(つづく)
取材・文/田口元義
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