相次いで堕落する人気子役たち
1992年は『ターミネーター2』(1991)でブレイクしたエディことエドワード・ファーロングが、2度にわたって表紙を飾っている。この頃、同作主演のシュワルツェネッガーが国民的人気者となっていたが、エディ人気も劣っていなかった。なにしろマルちゃんの「ホットヌードル」のCMに青春ドラマの設定で出演。キャッチコピーは、「初めての、H」(Hは、ホットヌードルの頭文字だ)だった。
そのエディの表紙、2月号はロサンゼルスで特写した単独、7月号はなぜか『愛人/ラマン』(1992)のジェーン・マーチとのツーショット。共演作も、交際の噂もないふたりがなぜ…?
実は当時、読者投票で決める「シネマ大賞」は都内ホールで読者を招いて授賞式を行っており、編集部が人気の高かった彼をスペシャルゲストとして招聘したのだ! 2週間にわたってディズニーランドや京都などあちこちに連れて行き、密着取材。そのハイライトが授賞式への出席で、2000名の観客の黄色い声援を受けたエディは超ゴキゲンに。その後、ホテルに会場を移してのパーティには、たまたま来日していた『愛人』のジャン=ジャック・アノー監督とジェーン・マーチも出席。ツーショット撮影と相成ったのだ。
このころはまだ映画雑誌にパワーがあったし、時代の空気もおおらかだった。単独メディアがハリウッド・スターを来日させるなんて、現在は不可能だろう。ちなみに取材の成果は「EDDIE! エドワード・ファーロング写真集」として発売。何度も重版し、かなり売れたというから、わざわざ招いた甲斐があった。
さて、子役といえばもうひとりの人気者が。『ホーム・アローン』(1990)のマコーレー・カルキンだ。1992年は『マイ・ガール』(1991)で共演したアンナ・クラムスキーと表紙に登場。同作はヒットを記録し、続編『ホーム・アローン2』(1992)の出演料は子役としては異例の450万ドルに跳ねあがった。だが、両親がギャラの取り分をめぐって醜い裁判闘争をはじめ、本人はアルコール依存症になり、引退を宣言することになる。
前出のエディも、薬物とアルコール依存症に陥ってしまう。現在は立ち直って、小さな映画に脇役で出たりはしているが…若くして成功を収めると、トラブルと誘惑も引き寄せてしまうらしい。厳しい世界ではある。
◆表紙リスト◆
1月号/ジョディ・フォスター 2月号/エドワード・ファーロング※初登場 3月号/ウィノナ・ライダー 4月号/ミシェル・ファイファー※初登場 5月号/マコーレー・カルキン&アンナ・クラムスキー※双方初登場 6月号/カイル・マクラクラン※初登場 7月号/エドワード・ファーロング&ジェーン・マーチ※初登場 8月号/シャロン・ストーン※初登場 9月号/ニコール・キッドマン※初登場 10月号/シガーニー・ウィーヴァー※初登場 11月号/メル・ギブソン※初登場 12月号/ケヴィン・コスナー
表紙クレジット:©ロードショー1992年/集英社