ソシャゲ空間という新たな「リアル」

倉本 これに限らずこの本では、物事の両面を書いていますよね。例えば橘の同期であり、文芸編集者である女性は、自身も作家からセクハラ被害に遭った過去があり、母でもあるので児童虐待に敏感です。でも一方で、少年漫画雑誌のキャラの食玩を集め、未成熟な男性キャラクターを愛でている。そういう庇護のねじれには気づいていない。

山本 そうやって自分が自覚的に則ろうとしているルールと、自分が自覚しないまま従ってしまうルールをそれぞれの人が持っている。それで「お前さんは児童虐待には厳しいけれど、じゃあ未成年の男性キャラを愛でるのはいいの?」と、他人から突っ込まれたりもする。

倉本さおり×山本貴光×米光一成  古谷田奈月『フィールダー』をめぐる、ディープ・ダンジョン・ディスカッション【後編】_3
山本貴光さん

米光 いやー、この作品には本当に両面が書かれているから、喋っている時に、小説のことを話している気がしなくなってくる。怖いですよ。例えばゲームについても魅力的に書いている一方で、問題点にもがっつり踏み込んでいますよね。

山本 そうなんですよね。それだけに身につまされることもあって、こんなことを思い出します。以前、通信制の高校でゲームの作り方を教える講義を担当したことがあります。生徒はそれこそ隊長のような人たちで、家でずっとゲームをしていて、それ以外の場面で他の人と話す機会をあまり持っていなかったりするのですね。でもゲームについてとてもよく考えているし詳しくて、例えば私のような大人とそうしたことを少しずつ話すようになり、やがてだんだんとそれ以外のことも話すようになっていったりします。ゲームによって、世代や立場に関係なく交流が生まれたりするわけです。
 ゲームにはそうした効能もある一方で、作中で描かれているように、過度にのめりこむ、アディクションの問題もある。パーティー同士で敵の討伐数を競うランキング戦のあとに、隊長に負けたギルドのリーダーが自死してしまう。でも一方で、隊長はゲームによって生かされているところもある。米光さんがおっしゃるように、そうしたゲームの魅力と問題の両方を書いている。

倉本 自死に対して「家族。友達。自分自身。犠牲にしちゃだめ」「ゲームはリアルを優先した上で楽しむものだ」「リアル大事に」とギルドの他のメンバーが盛り上がっているシーンがあります。そこでリーダーの盟友が怒りますよね。

米光 モピ君ですね。僕はこの小説の中で彼が一番好きだな。

山本 「何がたかがゲームだよ、何が区別だ、何がリアル大事にだ、ちょいちょいディスって正気アピールしてなきゃ不安ならやめちまえゲームなんか」「ゲームはリアルなんだ」と。そうなんですよ。ゲームかリアルか、と中途半端に分けて、それでわかったような気になってしまうから、「リアルじゃない」と思っていたはずのものに浸食されることになる。ゲームもまたリアルなんだよと。

米光 それぞれの場所で、家、学校、行きつけのバー、ゲームの中、それぞれのリアルがあるはずなのに、どこかをリアルでないと言ってしまう。
 一方でパーティーの仲間である未央が妊娠したからって、今後はなかなかゲームに参加できなくなるかもと、橘は勝手に推測して隊長に話しますよね。そこで隊長は自分たちも未央が必要なのにと怒り、「そんなに偉いの? リアルって」と言います。「おいおい、落ち着け」と思いましたよ。女性が妊娠したらゲームができなくなるって、すごい偏見だなと思いました。そういったところも、隊長の幼さや未熟さの表象なのかもしれませんが。

生き物としての「熊」の威力

山本 この小説を読みながら、ノワール映画で描かれるような、人物たちが三すくみになって、互いに銃を向けあっている様子を思い出しました。にっちもさっちもいかない。それがゲームの中と外とで何重にも起きている。でも、そんな三すくみを全部無視する形で最後に……

米光 熊がバーンと出てくる。

山本 そう、熊! その熊が最強というか最凶というか、いずれにしても「かわいくない」存在として登場します。この小説では、ゲームについても現実についても、しばしば「野良」という言葉が使われますが、ある枠組みから外れている状態ですね。「野良」とは「野」、つまりフィールドにいる人、フィールダーです。そういう意味で、熊はまさに野良中の野良で、自然であり、飼いならすこともできない存在です。仮にこちらが「かわいい」と思ったとしても、向こうは全然相手にしないし媚びたりもしない相手として描かれている。これは余談ですけど、「ELDEN RING」でも一番遭遇したくない敵が巨大な熊で、熊に会ったら逃げるしかない。古谷田さんは「ELDEN RING」を思い浮かべてこれを書いたのではないか、とつい勝手に想像します(笑)。
 話を戻すと、他方では「テディベア」や「くまのプーさん」、「リラックマ」をはじめ、熊はかわいいものとしてデフォルメされる存在でもありますよね。考えてみたら、熊ってそんな動物ではないのに。

倉本 不思議ですよね。おっしゃるとおり、熊って絵本や児童書なんかだと大きくて優しくて良い生物として描かれがちですけど、実際は山から下りてきて人を殺す話もたくさんあるわけじゃないですか。なぜ熊のメタファーはずっと、大きくて優しい生物なのか。

倉本さおり×山本貴光×米光一成  古谷田奈月『フィールダー』をめぐる、ディープ・ダンジョン・ディスカッション【後編】_4
リモート参加の倉本さおりさん。

山本 この小説に登場する熊は、人間たちが各々則ろうとしているゲームのルールに一切忖度しない存在です。もし熊にルールがあるとしたら、この地球という場所で生き残るためのルールだろうと思います。
 その熊はどう関わるか。先ほどおっしゃったように、橘は自分が所属する会社の部署間で、一つの問題に対して対応がちぐはぐで筋が通っていないのを許容していた。他方で黒岩は「筋を通す」ことを選び続けたとも言えそう。彼女は当初、児童虐待の問題にどうやって倫理的な介入を行うかというルールの世界にいた人です。ところが、アカツキと触れあうことでそのルールの外へ出て、野良化していく。ルールを遵守する姿勢と野良として生きる姿勢は互いに相容れず、両者の間には筋が通らないけれど、彼女はそれぞれの立場において筋を通そうとする。それで、ただ野良化するだけに留まらず、最後は熊を探しに山へ向かう。野良として自然というルールの方へ向かう。

――(担当編集)実は作者の古谷田さんからは、「熊に食べられる話を書く」としか聞いていなくて、それでこの小説がいきなり送られてきました。

米光 熊に食べられる話で、この小説が!

倉本 すごい(笑)。しかもいろんな要素が入っているのに、ドタバタは絶対させませんよね。目線高く客体として彼らのいる世界を眺めて差配しているのではなく、絶対同じフィールドに目線があるというか。

米光 こっちもすごく真剣に受け止めざるを得ない感じになりますよね。ゲーム制作者としていろいろ考えちゃった。

山本 いくら距離を取ろうと思っても、気が付くと巻き込まれちゃう。どの立場かはさておき。

米光 今日は話があっちこっちに行ってしまいましたね。これは我々が悪いのではなく、この小説が悪い(笑)。わかりやすい筋道で話せる小説じゃない。これだけ詰め込んで、でも読んでいる間は、丸ごとの世界だから。ジャッジせずにそこにある感じがする。

倉本 そうだ。ジャッジしないでプレイする小説なんですよ。

山本 「あなたはこのゲームで最後まで生き残れますか」と。プレイを始めてしまえば、必ずどこかでダメージを受けるし、しかも終わりなきゲームですよと。

米光 抜け出せないゲームですから。

山本 抜け出せないから、フィールドに存在しつづけることになる。ここを抜け出せるのは、この世を去るときなのかもしれません。

(了)

関連書籍

倉本さおり×山本貴光×米光一成  古谷田奈月『フィールダー』をめぐる、ディープ・ダンジョン・ディスカッション【後編】_4
フィールダー
著者:古谷田 奈月
集英社
定価:本体1,900円+税

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