30歳を過ぎて漫画家を目指す

――漫画家というのは昔からの夢だったんですか?

大学生のときから趣味で描いてたんです。映画が好きなので、本当は映画監督をやりたい気持ちがあったんですけど、お金もかかるし、仲間を集めなくちゃいけないので、ひとりでできる漫画の方が合ってるかなと思って。ちなみに映画は、大学生のときに『Shall we ダンス刑事』というひどいパロディみたいな作品を自主制作で撮っています(笑)。

――漫画家として影響を受けた作品は?

さくらももこ先生の『ちびまる子ちゃん』と、藤野美奈子先生の『友子の場合』という漫画が大好きでした。どちらもシチュエーションコメディっぽくて、そういう作品が好きです。あとは、漫☆画太郎先生も大好きでした。でも、人並みに漫画が好きというくらいでオタクというわけではなかったと思います。

――学生時代は何に夢中になってたんですか?

お笑いが好きでダウンタウンさんと爆笑問題さんが好きでした。 芸人への憧れもちょっとあって、上京してから「トキワ荘プロジェクト」(※プロのマンガ家を目指すクリエイターを支援するための総合プログラム)の漫画家仲間3人で「キングオブコント」の予選に参加したこともあります。
「おもしろ軍団ナンバーワン」というグループ名だったんですけど、完全に出落ちでしたね。一回戦も通りませんでした(笑)

――上京してすぐに「トキワ荘プロジェクト」に参加したんですよね?

最初は実家で漫画家になろうと思って、札幌の出版社とやりとりをしていたんでけど、あまり進展がなかったから上京するしかないと、ネットで住むところを探してたんです。
そうしたら、たまたま格安で住む場所を用意して漫画家を支援するという「トキワ壮プロジェクト」を見つけたので、それを頼って34歳で上京しました。当時は応募要件も「30歳ぐらいまで」とふわっとしてたから、34歳なら四捨五入したら30歳だしギリギリまあいけるだろうと思ったんですよね(笑)。