“アントニオ猪木”は死んでも生きている
現役時代は大きなイベントのあとは報道陣がいっせいに猪木の控室になだれ込んでいって、意識もうろうの猪木を“囲み取材”するところまでが“試合”だったが、国会議員となり、引退し、新日本プロレスを離れてからの猪木は、このアントニオ猪木モードをむしろ加速させていった。
今から12年前の2010年3月、猪木は世界最大のプロレス団体WWEの殿堂入りセレモニーに出席するためアリゾナ州フェニックスに来ていた。授賞式の前夜、ホテルのカクテルラウンジで猪木がめずらしくくつろいでいると、猪木の座っていたテーブルに次から次へと“伝説の男たち”が表敬訪問にやって来た。
現役時代にはあまり接点のなかったニック・ボックウィンクルと猪木がずいぶん長いあいだ話し込んでいた。ぼくは透明人間になってそのテーブルのすぐそばまで近づいていって、ふたりの会話に耳を傾けた。猪木の英語の発音はやっぱりすごくきれいだった。
ぼくはことし『猪木と馬場』という本を書いた。これまでのこの国のプロレス文化では“馬場と猪木”という序列が一般的で、このタイトルで単行本を出版した諸先輩方もいた。
これは本のあとがきにも書いたことだが、すでに23年前に、21世紀を迎えることなく旅立ってしまった馬場を語ることは追憶の作業で、猪木を論じることは現在進行形の思考でありつづける、とぼくは考えた。それはこれからも変わることはないだろう。
“アントニオ猪木”はこの世とあの世を超越したサムシングとして存在している。だから、“アントニオ猪木”は死んでも生きている。
文/斎藤文彦 写真/gettyimages