実は、新聞記者は文章がヘタクソである!

――元々はどういう本として書かれたんですか。

鮫島 色々な依頼があったんです。「吉田調書事件」(*)の真相を書いてくれというオファーも複数ありました。でも僕としては、やっぱり思い出すのが嫌なことなのでなかなか気乗りしなくって。

*2011年の東京電力福島第一原発事故直後に、吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた内容を記録した公文書が「吉田調書」である。この文書を2014年5月に朝日新聞社がスクープとして取り上げた際に、「第一原発の所員が吉田所長の待機命令に違反して撤退した」との内容で掲載し、「誤報」だとのバッシング指摘を受けたのが「吉田調書事件」。木村伊量社長(当時)が謝罪会見を開き辞任し、担当記者・デスクらが処罰を受ける騒動に発展した。

一方で、自分が見たり聞いたりしたことは書き残さなきゃいけないという、ある種の義務感もありました。それでも義務感だけでは書きたくないなと思って。それならいっそのこと、自分の新聞記者人生を振り返りながら、そこから得たものを何でもさらけ出しつつ書こうかなと。

僕としては、この本は「卒業論文」のつもりなんですよね。この本をネタに今後もずっと生きていこうとは思っていないし、新聞にしがみつこうとも思っていない。新しいジャーナリズムの世界に飛び立つにあたり、自分なりのひとつの区切りとして、新聞からお別れをするという思いが一番強かったかな。

――執筆はかなり前から進めていたのでしょうか?

鮫島 朝日新聞に退職届を出したのは2021年の2月でした。そこからすぐにウェブサイト「SAMEJIMA TIMES」を立ち上げたんです。自分自身が小さなメディアになろうと思って。そして「新聞記者やめます」という連載を始めました。実際に会社を辞めるのは5月末で、あと93日あったので、毎日書いていこうということで。

本当はそれが書籍になると良いなと思ったんですけど、日々起きたことを書き連ねていたらハチャメチャになってしまった。このままでは本にならんなあと思いながら、どこかでまとめたいなと思っていたんですが、2021年は衆議院選挙があったりして忙しくて、なかなかまとめるタイミングがありませんでした。

ちょっと時間が空いちゃったので、2022年の年明けぐらいからちょうど退社1年のタイミングぐらいで本として出したいなと思って、改めて整理して書いたという流れですね。

――じゃあ、執筆期間はちょうど1年くらいで……。

鮫島 いや、実際にかかったのは1か月ぐらいでした。

――えっ、たったの1ヶ月ですか!?

鮫島 はい。「新聞記者辞めます」という連載は、一人で毎日3000字ぐらい書いていたんですよ。その後も「SAMEJIMA TIMES」は事実上ひとりで回していて。「筆者同盟」という寄稿家が何人かいて、ときどき無料で原稿を書いてくれているんだけど、基本的には毎日、自分で1本書く。

それから365日、ほとんど毎日書いたんですよ。体調が悪い日も、正月も土日も、常に3000字ぐらい。フラフラになりながら書く日もありました。

忙しくて夜の11時になっても何のネタも無くて、書くことも決まっていなくて、「あと1時間でなんとかするぞ」という感じでやっていたら、1年経つと新聞記者時代よりも書く腕が上達したというか。実際にやってみると、50歳にして最も原稿が上手になったかな、と(笑)。

スピードはものすごく早くなりましたよ。大量に詰め込む集中学習、短期合宿みたいなものはやっぱり意味があるんだなって改めて思いましたね。そういう蓄積があったので、勢いに任せて2月の1か月間ぐらいで書き上げてしまった。いま思うと、短期間で書いたがゆえのスピード感や勢いが文章にこもっている気がします。

――退職後の方が、記者時代よりも文章がうまくなった(笑)

鮫島 いや、新聞記者って毎日3000字も書かないし、新聞記事では100行くらいのものが長文・長行と言われますからね。実は新聞記者は長い文章が下手ですよ。何を隠そう、僕自身どうしようもないくらい下手クソでした(笑)。

新聞記者って文章を書く仕事だと思ったら大間違いで、やっぱり根本的には「情報を取る仕事」なんです。よく世間の人が勘違いしているけど、まずは「情報を取れ!」っていうことばかり鍛えられて、書くことはあまり鍛えられないんですよ。