待ち合わせのアマンドから懐かしのアマンドへ
バブル期が終わりを迎える1990年代、今度はユーロビートやトランスミュージックなどの“サイバートランスブーム”が巻き起こる。その渦中にあったのが六本木のクラブ「Velfarre(ヴェルファーレ)」だ。
ボディコンやパラパラダンスなどが流行るなど、バブルの余韻が残るこの時代に、アマンドを利用するニーズは少しずつ変化してきたという。
「ポケベルやPHSが普及すると、待ち合わせのためにアマンドを利用するよりも、『派手に踊りに行く前の英気を養う場所』というようなニーズが増えたと思います。お店もバブル期のように活気づいていたわけではなく、もう少し落ち着いた雰囲気へと変わっていきました」
2000年代に入ると「alife(エーライフ)」や「Vanilla(バニラ)」などの新興クラブができ、外資系の企業が六本木の街に集まったり、繁華街には外国人も増え、国際色豊かな街へと変貌していった。
そして、「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」といった商業施設も建設され、六本木は夜の街だけでなく昼の街としての存在感も強くなっていった。この頃になると、アマンドへの来店客は「バブル期に遊んでいた人たちが年齢を重ね、懐かしのアマンドにまた戻って来るお客様が増えた」と勝俣氏は言う。
「2000年代に美術館や商業施設が六本木に相次いでオープンしたことで、かつてディスコに遊びに来ていた若者が大人になり、再び六本木を訪れる機運が高まりました。そのおかげでアマンドに立ち寄ってくださるお客様も増え、日中に六本木でショッピングやアート巡りをする需要にも応えられるようになったと感じています」