毎日が“ハロウィン状態”だった
こうしたなか、六本木は高度経済成長期とともに激動の時代を重ねていく。特に際立っているのは「バブル全盛期」だろう。1980年代後半からのバブル経済によって、日本全体が好景気となった。
その最中、一世を風靡したのがディスコブームである。
この頃、六本木には数多くのディスコが乱立していた。ビルのフロアのほとんどにディスコが入っていた「スクエアビル」は“ディスコビル”と称され、毎夜にぎわいを見せるほどだった。
また、今なおナイトクラブやショークラブが入居する「日拓ビル」や、現在は耐震性の問題から取り壊しが決まっている「ロアビル」にも人気ディスコがあり、社交の場として夜な夜な人が集まる定番の場所となっていた。
当時をリアルタイムで知る勝俣氏も「毎晩、現在のハロウィンのような盛り上がりを見せていて、バブル期の勢いを感じていた」と回顧する。
「平日、週末といった区切りはなく、六本木には毎晩のように多くの人が集まり、ディスコやキャバクラへ繰り出す光景が日常的でした。六本木中のディスコを回遊できる『六本木レボリューション』というイベントがあったり、当時からナイトカルチャーのムーブメントが隆盛する様子を肌で感じていましたね」
その当時、アマンドは24時間営業だったこともあり、夜遊び前に友人とお茶をするニーズ以外にも、遊び歩いたアフターで使ったり、電車の始発までお店で時間をつぶしたりするような使われ方をしていたという。
また、喫茶店の利用だけでなく「ケーキのテイクアウト」も非常に需要があったそうだ。
「アマンドの近隣には今も昔もクラブやキャバクラが多く、生のケーキを注文するニーズがあるんです。当時はお店にケーキを届ける専属の配達員もいたくらいです。また、六本木一帯には今でもあまりケーキ屋さんがなく、現在は夜のお店のほか大使館などからのご用命もいただいていますね」