歴史を超えた本宮思想のスペクタクル

この『天地を喰らう』の世界観を継承した、というわけではないのかもしれないが、さらに度外れた、巨大なイマジネーションが展開される作品が『雲にのる』(1988)だ。このマンガのストーリーは、ただひとりの男の旅をテーマに描かれている。しかしその旅がとにかくでかい。

その男、仁王丸は、飛行機事故の生き残り。となると舞台は現代で「歴史マンガじゃないじゃないか!」という話になるのだが、この作品では悠久の時間を生きる人物たちを描いている。

仁王丸は吽仁王に拾われて、息子として育てられた。やがて彼は本能に命じられるままに、東方にいる仏の宇宙の中心にある、須弥山を目指して旅をはじめる。須弥山には仁王丸の妹・マーヤがいた。

漫画家・本宮ひろ志のベスト歴史マンガを探る_5

いっぽう須弥山の頂上にある帝釈天の館には、宇宙のバランスを保つ戦闘部隊・天部の神々が集結していた。彼らにもたらされた知らせは、仏の意志。「もはや人に神々は必要ない。もし仁王丸が須弥山に登ってくることができたなら、すべての神々は地球を中心とする宇宙から立ち去れ」という言葉だった。しかし帝釈天は仏と袂を分かち、仁王丸の旅に立ちはだかる。

森羅万象は宇宙の保たれたバランスの中にあり、人間もまたそのバランスのもとで生まれた。だから人間の本能、つまり欲望も、その大もとは宇宙から来ている。人間性の大肯定。この作品はいわば"本宮思想"の究極スペクタクル。壮大で、激しく美しい仏教世界が展開される。