芸人が芸人を審査する時代の壁

――2000年結成のタイムマシーン3号は、若手時代の2003年ごろから「爆笑オンエアバトル」(オンバト)に登場。その圧倒的なオンエア率から、同期のオードリーやナイツより先にネタで注目を集めました。

山本浩司(以下、同)
 僕らはお客さんにウケたいと思ってスタートして、そういうネタをつくってたからそれがオンバトにハマったのかもしれません。ナイスミドル時代のオードリーもナイツも無名だったなかで、僕らのほうが世に出るのは早かったんですよね。

だから、「俺らいけんじゃね?」って気持ちは正直ありました。

ところが、松本(人志)さんや(島田)紳助さんといった芸人が芸人に点数をつけるというシステムのM-1(グランプリ)が盛り上がって、お笑いがお客さん主体から芸人主体になっていったんです。

――オンバトで注目されて鳴り物入りで挑んだ2005年のM-1決勝では7位と奮いませんでした。

やってることはオンバトと変わらなかったんですけどね。環境が変わっていたから同じことをやっても見え方が変わっちゃってたんです。

逆にその年に優勝したブラマヨ(ブラックマヨネーズ)さんや翌年の優勝したチュートリアルさんだったり、M-1の常連になっていた笑い飯さんや千鳥さんたちはそれまで玄人向けと言われてて、オンバトに落ちていた。

「僕らは『お客さんにウケたい』というところからスタートしていた」
「僕らは『お客さんにウケたい』というところからスタートしていた」
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そういう人たちが主流になってくると、オンバトで輝いてた僕たちって“軽い笑い”だったんじゃないかって思うようになっていくんです。

自分たちはウケたいと思ってネタをつくってるけど、彼らは自分たちが本当に面白いと思うことをやって、ドンドン上に行ってると。

――玄人ウケ路線に切り替えることはしなかったんですか?

当時はアップフロント(ハロー!プロジェクトのアイドルが多く所属する芸能事務所)系に所属していたから劇場もなくて、アイドルのファンクラブやリリースイベントのMC仕事も多くて。

だから処世術として我を出さず女のコたちを活かして、目の前にいるお客さんを笑せることが大事で、芸人を笑わせようなんて発想すらなかったんですよ。別にそういう仕事がイヤでもなかったですし。

それが当時、自分たちの笑いをやってる芸人からはおもしろく映らなかったんでしょうね。芸人仲間から「あの頃のあんたたち嫌いだったわ」って今でもよく言われます(笑)。