水木しげるは多くの戦争マンガを描いていますが、自身の経験を「九十パーセント」の事実で描いた長編『総員玉砕せよ!』を刊行したのは1973年のことでした。このマンガの題材である「玉砕」事件をなかば体験してから、28年の歳月が経過していました。「なかば」というのは、本当に玉砕に参加していれば、当然死んでいて、マンガを描くことはできなかったからです。ともあれ、この極限的な体験は、客観化して作品にするのに、28年もの時間が必要だったのです。このことは私たちの想像をはるかに超える重みをもっています。

今年は水木しげる生誕100年に当たりますが、記念展の準備をしていた長女の原口尚子さんが遺品のなかから『総員玉砕せよ!』の構想ノートを見つけました(その一部は講談社文庫の『総員玉砕せよ! 新装完全版』に収録されています)。そのなかでとくに印象に残ったのは、このマンガを戦死した友人の「霊に捧ぐ」との言葉が見られることです。


水木しげるは、自分が片腕を失いマラリアに罹患したために玉砕を免れたことを、死んだ友人たちに対して申し訳ないと思っていたのです。そのため、マンガのなかでは、自分の分身ともいえる主人公を友人たちとともに戦死させています。

「みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ 誰にみられることもなく 誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ……」

主人公の死体にこう語らせたとき、水木しげるは死んだ友人たちの霊に同化していました。それは、妖怪や幽霊と同化できる水木しげるという異才だけに可能なわざだったのです。

水木しげるが描いたテーマ

一方、つねにあらゆる事象に距離を置いて眺めることのできる水木しげるがこのマンガで描いたのは、戦争では人間が個人ではいられなくなるという事実です。

例えば、同じ南方での戦争を描いた文学の決定的な名作として大岡昇平の『野火』がありますが、あの小説で語られているのは、戦争(すなわち殺人)を前にしたときの個人の内面のドラマです。その冷徹な分析が可能だったのは、大岡昇平が卓越した知的精神の持ち主だったからです。それは大岡昇平の例外的な精神のドラマでした。しかし、『総員玉砕せよ!』が描きだすのは、戦争の渦中にあって人間は個人ではいられないという別の事実です。

水木しげるの『人間玉』というマンガでは兵隊たちが文字どおり人間ではなく肉ダンゴになってしまうのですが、戦争の渦中において人間は個人として生きることを許されません。その肉ダンゴのような集団的混沌が常態であり、誰もそれを疑わず、誰も責任も負わないのです。『総員玉砕せよ!』が描いたのは、そうした戦争の狂気のありさまでした。この真実が見通せたのは、水木しげるが常人の目とは異なる異人のまなざしをもっていたからです。そこに水木しげるの戦争マンガの、他とは隔絶した幻視力があるのです。

水木しげる、手塚治虫、こうの史代……マンガ家たちは戦争をどのように描いてきたか_02
人間玉(「カランコロン漂白記」より)©水木プロ
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