私が個人的に、日本人の戦争に対する感覚が変化したと実感したのは、1982年に矢作俊彦原作・大友克洋作画の『気分はもう戦争』が刊行されたときです。それまで戦争は日本人にとって絶対悪として認識されていました。しかし、このマンガは、米国・ソ連・中国のパワーゲームのなかで戦争と戯れる若者たちの姿を描き、戦争が絶対的な悪のイメージであることに終止符を打ったのです。
それは、自由と平等、民主主義と平和を至上の理念とする近代の価値体系が懐疑にさらされる近代以後(ポストモダン)の始まりを画すると同時に、私たち日本人の戦争観もポストモダンに入ったことを告げていました。もはや戦争を自明の悪として語ることはできなくなった、と私はこのマンガを読んで感じました。
戦争マンガが相次いだ2015年の夏
それ以降も、様々な戦争マンガが描かれてきましたが、私の記憶にいちばん印象的に残るのは、2015年の夏です。
この年の4月、平成天皇(現・上皇)夫妻がパラオのペリリュー島を訪問し、この島で玉砕した日本人兵士たちの戦没碑に献花し、深々とお辞儀をしたのです。これは、戦争を遠く忘れた私たち日本人に対して、重い衝撃をもたらす出来事でした。
これに触発されたかのように、2015年の夏には、終戦70年を期して、戦争を描いたマンガの刊行や企画が相次ぎました。
小林よしのりはペリリューの玉砕を発想源にして『卑怯者の島』を描き、戦争が善悪を超えた破壊と殺戮、飢えと苦痛と恐怖であることを生々しく描きだしました。
また、大西巨人の『神聖喜劇』を見事なマンガ版にした、のぞゑのぶひさは、『敗戦悲劇』で、アッツ島玉砕を含む戦争の戦慄的な数々の局面をクールに描き、寡黙な画面に戦争の記憶を結晶させました。
さらに、大判全4巻で合計1000ページをはるかにこえる『原水爆漫画コレクション』が刊行されたことも忘れられません。このコレクションのおかげで、原爆という人類史上類例のない惨禍に対して、最も真摯かつ奔放にその意味を探求したのは、ほかの芸術ジャンルにも増して、マンガというサブカルチャーだったことがはっきりと分かりました。
マンガ雑誌の企画として鮮烈だったのは、それまでもおりに触れて終戦記念日の周辺で戦争マンガの秀作を再録してきた『ビッグコミックオリジナル』による「戦後70周年増刊号」でした。
巻頭に藤田嗣治の『アッツ島玉砕』の戦争画のカラー大画面を置き、その怨念の憑依したような鬼気迫る戦意高揚の絵画に次いで、水木しげるの戦争の狂気をユーモラスに描く『人間玉』を配するという構成がみごとに決まっていました。そこには、戦争の狂気を生き延びるためには、水木マンガのような冷徹なまなざしが必要だというメッセージが感じられました。
とはいえ、上記の作品や特集は、戦争の狂気をアッツやペリリューの玉砕に見るという一種の流行を生んだことも確かで、それは昨年完結した武田一義のマンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』まで続いています。