自分も人も、守れない日々だった

……自分を守る、守っていいんだ。私には、浅沼室長の言葉が重く響いた。それまで、自分も人も、守れない日々だった。そのことを思い返していた。

戦後、だいぶ経ってから、私は浅沼さんに聞いた。

「日本は負けたということを、あの微妙な時期に、よく言ってくださったと思って……。そんな話が外に聞こえたら、浅沼さん自身、危険な目に遭うかもしれなかったでしょうに」

浅沼さんは、一瞬照れくさそうな目をしたが、それから真剣な顔になって答えられた。

「そりゃあねえ、君たちを助けたかったからだよ」と。

そうなんだ。浅沼さんが教えてくれなければ、軍国少女の私たちは、反乱軍のピストルの前に出たかもしれない。実際には、反乱軍が放送会館を急襲してきた時に対決したのは、館野アナウンサーらだったが、一歩間違えば女性たちも巻き込まれていたかも知れないのだから。浅沼さんが救ってくださったのだと、私は思っている。

このことを書いた毎日新聞社の「世界史の中の一億人の昭和史 6東西対立と 朝鮮戦争」のコピーを送ったところ、浅沼さんは次のようなはがきをくださった。

「あのような事を知っている人がいま何人いるでしょうか。それだけに、あの原稿の歴史的価値はいずれNHKでも評価されるでしょう。切にご自愛を祈る」