「ウクライナはロシア語圏ではない!」
「私たちウクライナはロシア語圏ではありません。ウクライナ語は存在しています。私たちは自分の意志でロシア語を勉強したのではなく、ロシアの植民地時代にロシア語を勉強するように強要されたのです。だから母語はウクライナ語です」
担当者は「ごめんなさい。ネットに掲載されていた情報をもとに資料を作ってしまいました」と謝罪してきたという。
アナスタシーヤさんが述懐する。
「でも彼女に罪はありません。世界の人々はウクライナについて知らないことがとても多いと感じます。ロシアはウクライナを年下の弟のように言いますが、それもプロパガンダです」
母国ウクライナは2014年にクリミア半島が併合され、東部ではロシア軍とウクライナ軍による戦闘が続いていた。その渦中だったがゆえに、ウクライナというアイデンティティーを強く意識していた。
北海道の留学から帰ってきたアナスタシーヤさんは、言語大学の修士課程で学業に引き続き専念。卒業後は観光でも日本へ行き、キーウに戻って日本語の翻訳や家庭教師など、フリーランスとして活動した。そして昨年夏、念願の国費留学が決まった。
順調にいけば今年4月に訪日するはずだったが、戦争勃発で予定がずれた。当時、キーウのアパートで1人暮らしをしていたアナスタシーヤさんは、ロシア軍による全面侵攻が始まった2月24日早朝の様子を、こう振り返った。
「パソコンでNetflixを観ていたら、爆発音が聞こえました。それほど大きくはありませんでしたが、あわててネットで『キーウ』、『爆発』というワードで検索してみると、爆発に関する動画が見つかったんです。間もなく、ウクライナの生放送のニュースでも『プーチン大統領がウクライナにミサイルを発射した』と報道され、それからそのニュースが流れっぱなしでした」
各国の在外公館はすでに国外へ退避していたため、不穏な動きが起きる可能性は考えていた。このため事前に食料を買い込んでいた。数日後、荷物をまとめて家族がいるアパートへタクシーで向かった。通常なら100フリヴニャ(約460円)のところ、一気に跳ね上がり、その6倍も払わされた。
国外への避難も考えたが、祖父が85歳と高齢のため、無理はさせられない。結局、一家でキーウに留まることに。夜中に空襲警報が鳴り響く中、廊下や風呂場で眠れない夜を過ごした。
戦況が刻一刻と緊迫化する中、留学の準備も進めなければならない。日本大使館や大学に問い合わせてみると、「国費留学で来日する留学生向けのプログラムは間もなく始まります。少なくとも5月末までには来日してください」という説明を受けた。猶予はあまりなかった。