被差別部落の問題だけでなく、まだ名前も付いてない差別が、未だに世の中に出てくることが改めて衝撃だった。
今から約150年前、明治4(1871)年に明治政府は「それまでの身分制度で賤民とされていた人々の身分や職業を平民と同様にする」と太政官布告をしました。それまで交際、結婚、居住などにおいて様々な制約や差別を受けてきた人たちは、解放令により、平民として結婚や職業選択の自由、苗字の取得などを得ました。
ところが明治38(1905)年、長野県で教員をしていた島崎藤村が書いた長編小説「破戒」の中では、解放令から30年ほど経っても、未だ被差別部落の出身者にまつわる差別の実態が描かれています。
主人公の瀬川丑松は、優秀な成績を収め、教員となり、生徒たちからも信頼されていますが、家を出るときに父親から、被差別部落で生まれたことを決して人に明かしてはいけないとの戒めを受け、絶えず心苦しさを抱えています。本の中では、旧来の身分制度にこだわる人間や、新平民へ侮蔑の感情を露わにする人間の描写があり、今の時代に通じるヘイトを生み出す心理状況を生々しく描きます。
大正11(1920)年3月3日、被差別部落の人々の解放を目指して全国水平社が設立され、今年で100周年を迎えました。創立大会で読み上げられた宣言文がかの有名な「水平社宣言」です。
宣言の原文は被差別部落出身の一人の若者が考えたもので、長い歴史において、不当な差別を受けてきた人々の意識革命を決起した言葉が並びます。水平社宣言の原文と現代語訳は調べるとウェブ上でも簡単にアクセスできるのでぜひ、見ていただきたいのですが、「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」の末文には、すべての人があらゆる差別を受けることのない社会の実現への希望に満ちています。
あれから100年、私たちの暮らす社会から差別は消え、全ての人が人間らしく生きられているでしょうか? 島崎藤村が不当な差別を受ける側の内面へと迫り、苦悩を描いた『破戒』の映画化で主人公、瀬川丑松を演じた間宮祥太朗さんにお話を伺いました。
(左)間宮祥太朗(Shotaro Mamiya)
1993年生まれ、神奈川県出身。中学時代からモデルとして活動をはじめ、2017年、『お前はまだグンマを知らない』にて映画初主演。『ホットギミック ガールミーツボーイ』(2019)、『殺さない彼と死なない彼女』(2019)、『RED』(2020)、『東京リベンジャーズ』(2021)はじめ数々の映画やドラマの話題作に出演している。現在、KTV系列『魔法のリノベ』に出演中
島崎藤村が思いを寄せた、モデルとなった先輩の教員。藤村の個人的な思いが『破戒』の文章に乗っている印象を受けた。
──島崎藤村は国語の教科書で必ず紹介される作家なので、彼の小説の『夜明け前』や『破戒』もタイトルは知っているという人が多いのですが、実際、読んでいるかというとそう多くないのかもしれません。
今回、調べると、『破戒』が小学校教員時代、同じエリアにかつて部差別部落出身であることで理不尽な差別を受けながら、堂々と教員に立ち続けた先生の話を周囲から聞き、知り合いに取材を重ねて、自主出版した作品だと初めて知りました。
「自主出版であっても世に出したかったということもあり、原作を読んだとき、僕は藤村の個人的な思いが文章に乗っかっているような印象を受けました。藤村が、自分の先輩である、モデルとなった教師の人に自分を投影していたのかどうかは、もう100年以上前で知るよしはないんですけど、小説の主人公として置いた瀬川丑松に託した想いはとても強いと感じますよね。おそらく藤村は、教員生活の合間の週末に、色々取材をして、リサーチして、もがきながらも感情が乗って、丑松という人物を作り上げた気がします。
原作を読んだときに強く感じたのは、丑松の生徒たちへの接し方でした。いろいろな登場人物が出てきますけど、彼は、生徒と教師、大人と子供という区別をせず、ひとりひとり、人間として、ちゃんと目の前の相手と対等に対話をしている。そのことを大事にしている役柄だなあと思ったし、そこが丑松のキャラクターの中ですごく好きな部分です。彼のそういうところを大事にしたいなと、当初の脚本では生徒たちに対して敬語を使ってなかったんですけど、僕から監督と相談して、敬語に変えてもらったんです」
──元々、『破戒』は過去に2度映画化されていて、ひとつは松竹の木下惠介監督の『破戒』で、丑松役は池辺良さん。大映版では市川崑監督で、市川雷蔵が主演です。
私は雷蔵版の『破戒』が大好きで、よく息子に見ようよと誘ったりしたのですが、内容がいいとわかっていてもモノクロで、重そうだから見たくないなあと敬遠されちゃって。今回、間宮さんが主演だと話したら、「それなら見たい」って話していました。
「わあ、嬉しいな。それが、今回、僕が演じる意味につながるかな。自分もこの話をいただいた時、原作は100年も前のものだし、二回も映画化されている。なぜ、僕が主演で、令和になって映画化をするだろうと、まず最初に疑問を持ちました。
原作と脚本を読んで、これは昔の話ではなく、今の世の中のことを考えて制作陣は作るんだなと自分も納得して、だったらできるかなと思いました」