ベッドシーンははしょらずに
書くと決めていました
―― 個人的な印象なんですが、この十年ほど、恋愛小説における官能シーンがすごく減ったと感じています。ベッドシーンに入る匂わせだけあって、実際の行為ははしょられている。そんな中で、『生のみ~』の性愛描写はとても濃厚で、しかも女性がその最中に何を感じているかを息を詰めて読むような筆致だったので、終始うっとりしていました。
私はベッドシーンが始まった途端、次のシーンでは、突然朝になっていたりするドラマを物足りなく思うタイプなんです(笑)。なので、ベッドシーンは絶対にちゃんと書こうと思っていました。ふたりはすごく相性がよくて、まず心で惹かれ合ったわけです。とはいえ、互いに戸惑いも大きい。
―― そのあたりはどう工夫されましたか。上巻のひとつのヤマはそこで、愛し合っているけれど、身体を触れ合わせる直接的な性愛を受け入れられるのか、乗り越えられるのかという葛藤を、逢衣は強く感じていたように思います。
そうですね。お互いの身体に触れ、性別は同じでも、性質は違うことに気づいて、そこも丸ごと愛する。素の肉体をさらけ出してどんなふうに愛情を注ぐかを見せていかないと、ふたりがどれほど愛し合っているのかは伝わらないだろうと感じたんです。あと、セックスって暗い中で夜にするものみたいなイメージがあるけれど、私は、お互いの身体を明るいところで隅々まで見つめるような世界を書いてみたかったんですね。本の中に〈どんな場所も、あなたといれば日向だ〉という言葉が出てきますが、日向と日陰も意識していたテーマで、日向で愛し合う心地よさをていねいに描こうと考えていました。
―― 逢衣の視点の中には、女性だからこういうディテールに気づけるんだろうな、こういうところまで踏み込めるんだろうなと思う描写がたくさんありました。たとえば、ふたりでVゾーンを脱毛し合ったり、吐息や眼差しで興奮していったり。あるいは、逢衣が、彩夏の肩口を蹴って残ってしまうかもしれない痣にほくそ笑むとか、彩夏が、逢衣の腰骨の上の白斑がセクシーだと言うとか、まるでふたりだけの秘密のようです。女性同士の性の機微って、どうしても異性とのそれと全然違うのかなと。男性であれば気がつかないか、気がついても扱いかねて結局黙っている気がしたんですよね。
特に彩夏は、そういう身体のしるしに対してすごく興味を示す人なので、ほかの恋人でも傷や痣があれば注目はすると思いますが、それをすぐに口に出して言えたというのは、逢衣と彩夏ならではの関係性があるからかもしれないですね。お互いをよくわかっているからこそ、相手の顔や身体、ファッションやメイクを見てふと思うことも、その外見に批判的になるというわけではなくて率直に言いあうし、それが健康とかに関わりそうなことだったら直すように言ったりとか。
―― 彩夏が逢衣に〈一生の傷が欲しい〉と嘆願しますね。それまでのふたりを追ってきただけに、切ない場面です。
彩夏は結構そのときそのときを生きている。だから、いまの確かなものの証を求めるけれど、逢衣はそのころにはもっと長期的に、愛し続ける自信があるから拒んだ。対照的なふたりですが、いつも正直にぶつかり合っていました。
――なんと言っても本のタイトルが美しいです。上巻一七二ページの、タイトルと呼応するフレーズは忘れがたいです。〈今までは裸でいても、私は全然裸じゃなかった。常識も世間体も意識から鮮やかに取り払い、生のみ抱きしめて一糸纏わぬ姿で抱き合えば、こんなにも身体が軽いとは〉。どんなきっかけで思いついたんですか。
先に話したように、この話を書きたいなともやもや思っていたときに、薄めないお酒、生のままのお酒を飲み干すときの灼けるように熱い恋愛という全体のイメージが瞬間的に浮かんだんです。「着の身着のまま」という言葉がありますね。そこに「生」という字を当てたいなと思ったのは確かで、ただもうそのあたりはあまり細かくは覚えていないです。〈天然の酩酊〉とも書いていますが、だいぶ題名に助けられて、心も身体も着飾らずに裸のままで愛し合おうというテーマを膨らませることができました。いつも最初にタイトルが浮かぶわけではなく、書いている途中で思いつくことが多いんですが、このときは初めからあって、タイトルに向かって書いていった。そういう書き方はめずらしいです。
好きな作家の本を
芋づる式に読んでいった学生時代
―― 「ナツイチ2022」の作品のひとつということもありまして、最後に夏の読書をめぐって、綿矢さんご自身の思い出をうかがってみたいと思います。夏休みの宿題で読書感想文を書くとき、どうやって本を選びましたか。
集英社さんのナツイチを始め、各出版社さんが小冊子を作りますよね。簡単な内容紹介や本文の抜粋が載っているので、あれを本屋さんで手に入れて、参考に探したりしました。中高生のころは、ある作家さんの本が好きだと思ったら、文庫本を片っ端から読んで、さらにその人がエッセイで褒めている本や、その人の作品の中で登場した本などにも、芋づる式に手を伸ばしました。だから偏っているんですけどね。いずれにしても、まずは自分がもっとも興味を持っているものに関連する本を取っかかりにしていくのがいいのではないのかなと思います。たとえば、野球に打ち込んでいるなら野球関連の何かを読んで、徐々に野球を題材にした小説にも挑戦してみるとか。活字を読んで想像をふくらませることに慣れるのが、まず大事だと思います。
―― 読書感想文は、やはり得意なほうでしたか。
好きでしたけど、入賞したのは、高校三年の年に『インストール』で文藝賞をいただいた後に一度だけです。いま思うと、私が書いていたのは感想文というよりレビューで、自分がどう感じたかとかは全然出てこないものでしたね。
―― 綿矢さんの『生のみ生のままで』は、ナツイチを手に取るような読者にどんなふうに読まれるんでしょうね。若い世代には刺激的な小説でもあると思うのですが。
思い返せば、私が刺激の強いカルチャーに触れたのは、まず本からでした。小六とかからかなり過激なものを読んでいて(笑)、それで「ここまでの表現があるんやな」とどんどん本が好きになった気がします。感性が柔らかくて可塑性がある年頃に何を読むかで、すごく変わると思うんですよね。ちょっとでも興味があるのなら、年齢は気にせずに読んでほしいなと、応援したい気持ちです。