藤井の牙城を崩せない実力者はたくさんいる。その中で、大橋の以前の3勝は、後手番で「横歩取り」という自分が得意かつ比較的、藤井の経験が浅いと思われる形にうまく持ち込んだことが大きかったのではないか。

そして冒頭で記した4勝目の要因だが、まず大橋の状態がよいことにある。今年に入ってからの成績は驚異の17勝2敗だ。一方の藤井は状態がいまひとつのように見える。今春の叡王戦五番勝負ではストレート防衛を果たしたが、内容的には盤石とは言い難かった。

そして王座戦の持ち時間が「チェスクロック式」だったことも関係しているかもしれない。最近の公式戦で用いられ始めたこの方式は時間を使っただけ引かれるが、以前から用いられている「ストップウォッチ式」は、1手を1分未満で指せば時間は減らない。藤井は「ストップウオッチ式」を採用する多くのタイトル戦で残り数分になってから1分未満で指し手を続け、持ち時間をキープする戦い方を得意にしている。

不世出の天才棋士といえども、1手を1分未満で指さなくてはいけない「一分将棋」になると追い込まれてミスが出やすくなる。冒頭で記した形勢逆転のミスが出たのは、一分将棋になってからだった。意外な手を指されても「さらに1分ある」という事実は、大きな安心感につながるのだ。

「不言実行」の棋士がタイトル挑戦を目指す

2年前、大橋に「なぜ藤井に勝てるのか?」という問いをぶつけたことがある。藤井から3勝目を挙げた後のことだ。

すると大橋は「うーん……」と唸って、明言しなかった。ほかに未来の目標についても尋ねたが、「ゆくゆくはタイトル獲得を目指しているけど、その棋力に到達するかどうか……」などと曖昧な話し方に終始していたのを思い出す。強烈な自己主張と、控えめな言動のギャップに驚かされたが、面白くも感じた。大橋は「不言実行」タイプなのだ。これからも言葉よりも行動で我々を楽しませ、驚かせてくれるだろう。

藤井に勝った王座戦で、大橋はベスト4に進出している。あと2勝で初のタイトル戦だ。準決勝は6月29日、相手は兄弟子の石井健太郎六段。30歳の石井もタイトル戦の経験はない。大橋同様、石井もこの勝負に賭けている。

兄弟子と弟弟子が挑戦者決定戦を目指して、血で血を洗う激闘を繰り広げる。生放送は予定されておらず、大橋のスーツ姿を多くの人に見てもらえないのは残念だが、日本将棋連盟のモバイル中継で棋譜は生中継される。

まずは盤上を注視しよう。棋力などは関係なく、自分の好きなように見ればいいのだ。駒の動きと観客の視線の交錯によってはじめて、プロの将棋の本質は浮かび上がるのだから。

画像/共同通信