郵政選挙が決めた党内の力学

そうした党内の異論を封じこめたのが、2005年8月の郵政解散、9月投開票の衆院総選挙である。小選挙区と比例区を合わせた480議席のうち、小泉総裁の自民党は296議席を得て、113議席に沈んだ民主党を圧倒した。

郵政民営化の陰に隠れて世間ではあまり注目されなかったが、政府系金融機関の統廃合はそれまでの日本の金融政策を根幹から変えるほどの衝撃があり、党内の異論も根強かったという。林が振り返る。

「選挙の前まで政府系金融機関の統廃合は、『総裁がそうおっしゃっても、その通りになるわけないじゃない』と党内の意見が割れていました。

あの頃、政府系金融機関は国際協力銀行(JBIC)や国民生活金融公庫、中小企業金融公庫、農林漁業金融公庫、沖縄振興開発金融公庫などいっぱいあり、改革派はそれを3つくらいに再編したほうがいいという意見でしたが、小泉総理はそれどころではなく、1つでいいと言い出したのです。今でも覚えてますけど、『あまりに乱暴すぎるのではないか』と議論が百出していました。

ところが自民党が郵政選挙で大勝すると、ムードがガラリと変わりました。総理は構造改革を訴えて選挙に勝った。自民党議員はその結果を受け止めなければいかん。

今は8回生(8回当選)議員になっている当時の小泉チルドレンが1年生としてたくさん自民党に入ってきて、『小泉総理の改革を実行しなければならない』と後押しする。例を挙げれば、小泉政権ではその勢いのまま国際協力銀行の名称をなくし、日本政策金融公庫のいち国際部門に組み込んだ。

橋本(龍太郎)元総理が小泉さんのところに行って反対だと直談判したことを思い出します。結局、国際協力銀行はJBICという英語の略称だけを残し、政策金融公庫のなかに吸収されました。すごいことが起きたなと驚きました。

けれど、実情を言えば、それでは海外の融資案件を含めた政府系金融機関組織が存在しないことになる。対外的に話にならないと批判されてました。そのあと揺れ戻しがあって、国際協力銀行が復活した経緯があります。

最終的に政府系金融機関は1つではなく、国際協力銀行と日本政策金融公庫、沖縄振興開発金融公庫の3つになりました。自民党内ではあの小泉政権下にあってなおそうした政策議論が日々交わされてきたのです」

国際協力銀行は日本企業が海外の事業展開をする際に支援する。たとえば米大統領のトランプが日米関税交渉で日本政府に突き付けた5500億ドル(88兆円)の対米投資は、ソフトバンクや日立製作所などの日本企業が事業を担う。

その投資金について融資や出資の際の保証をするのが、国際協力銀行や日本貿易保険(NEXI)といった政府系金融機関だ。日本企業の海外進出にとって欠かせない金融機関といえる。

一方、政策金融公庫はもっぱら国内や中小企業、農林水産などの支援を謳う。そもそも役割の異なる国際協力銀行と日本政策金融公庫がいっしょになること自体がナンセンスであり、とうぜん所管する官庁も違う。

政策金融公庫は総裁が財務事務次官の天下りポストになっているように財務省の影響力が強く、国際協力銀行は外務省や国際協力機構(JICA)との関係が濃い。悪くいえば縄張り意識だが、現実に金融機関としてそれぞれに特色があり、統合すればうまくいくものでもない。わけても国際協力銀行は吸収される側なので組織の独立性が損なわれてしまう。

こうした行政改革は1980年代後半の中曽根康弘政権以降、欧米から市場開放政策を突き付けられ「小さな政府」の名の下で、進められてきた。

金融界においては90年代に入り、都市銀行がバブル経済崩壊後の不良債権処理に公的資金が投じられてメガバンクに集約され、さらに数多くの政府系金融機関が統廃合されてきた。小泉政権下で進められた政府金融改革はまさしくその一環だったが、それものちに見直される。

前述したようにくだんの国際協力銀行はそのまま麻生太郎政権下の2008年10月、いったん日本政策金融公庫のいち部門になる。だが、民主党政権時代の2012年4月には国際協力銀行として改めて分離されて今にいたっている。なお、沖縄振興開発金融公庫は2032年4月に日本政策金融公庫に統合されることに決まった。林が言う。

「今の党内では、ニュースになるぐらい議論が白熱してるのは再審法の改正でしょうか。ただ、あれは高市さんがぜひともやりたいという意思を示しているわけではないので、橋本元総理から言われても引かなかった小泉総理の政策金融とはニュアンスが違います。

政府と党は時々に応じてけん制し合うこともあり、小泉政権のときでもけっこうな議論ができていました。高市総理の最大の関心事は食料品消費税の件ではないでしょうか。そこは『検討を加速させる』と衆院選の選挙公約に書いているので、力を入れているのでしょう」

ときの政権と党が議論をぶつけ合う。その象徴が自民党の税制調査会だった。保守合同を果たした翌1956年、自民党は政府とは別に税制改革特別委員会を発足させ、これが党の税調となり、メンバーである税のプロが税制にモノを申してきた。

自民党税調の幹部はインナーと呼称され、決定事項については党総裁ですら遠慮したとされる。

1980年代以降、長らく税制の意思決定機関とされ、消費税導入のときは、田中角栄や中曽根康弘の内閣で防衛庁長官や通産大臣を歴任してきた山中貞則をはじめ、村山達雄や奥野誠亮、林義郎、相澤英之らがインナーとして奔走してきた。

通産官僚から政治家となり厚生大臣や大蔵大臣を務めた林義郎は林芳正の実父でもあり、党と政府のあいだの緊張感を目の当たりにしてきたのであろう。が、その税調議論も変わってきたという。

「私が国会議員になったばかりの頃は、長いあいだ党の税調会長を務めた山中先生がいらっしゃいました。鹿児島が選挙区だった山中先生は消費税の必要性を訴え続け、そのせいで落選し、しかし、主張を変えずに国政に戻ってくる。そんな方でした。

ところが最近の若い議員にはそんな迫力を感じません。数年前、たまたま都市部の小選挙区で議員になった人のウェブサイトを見て驚きました。

『どんなに頑張って地元をまわっても、逆風の選挙では風に吹き飛ばされるし、順風なら何もしなくても選挙に受かる。後援会をつくっても意味がないから後援会活動をやめようかと言ったら、党の執行部に叱られた』というような話を書いているのです。

山中先生と比べると、政治姿勢がぜんぜん違う。実際、今度の選挙を見ると、東京は自民が全勝しました。けれど、中選挙区制時代にはありえない現象でした」